皆さん、ありがとうございました。

 

 富岡西高演劇部同窓会を終えて

 

 何の変哲もない場所に人が集まり、照明が当たり、音が流れ、緞帳が上がり、役者が動き出すと、そこは人の心を動かす場所に変わります。こんかい懐かしい人たちと出会うことで、廃校を利用したスペースが、とても意義深い場に変わるのに驚いて、これこそ芝居みたいだなと思いました。

 

 あれはもうだいぶ前のことなのに、皆さんいい意味で全然変わってなくて、忘れていたことをいろいろ思い出しました。皆さんがセレクトしてくれた当時の写真やスライドショーには、ルーズソックスを履いたりしている高校生たちが、本当にいい顔をしてたくさん映っていて、改めてあの頃を実感しました。ああ、みんな、こんなにいい顔をしてたんだ、輝いてたんだと思うと、熱いものがこみあげてくるのを押さえることができませんでした。

 

 直前までは退職の実感もあまりなかったのですが、「陽の当たる教室」っていうちょっと古い映画で、R・ドレイファスという役者が演じていた「老」教師の姿を思い出して、それが脳内で自分に重なって、おい嘘だろと思わず独り言を口走ってしまいました。

 

 今回企画された方々、出席された方々はもちろん、ZOOMで近況を語ってくれた方々や、お気遣いいただいた方々、そして今回コンタクトできなかった方々も含めて、みなさんがトミニシ★エンゲキのかけがえのない一人ひとりであり、あの時全力で芝居に打ち込み、泣き、笑い、葛藤し、生きたことを今回改めて確認することができました。約10年間、それぞれ年度は違えど、皆さんと密度の濃い奇跡の時間を共有できたこと、思い出を共有できたことを、とても嬉しく思っています。

 

 定年退職を迎えましたが、フルタはまだ教員を続ける予定です。4月からは徳島北高での勤務です。ここは演劇部がない高校なので、少し寂しく思っています。ですが今回の凝りに凝った企画の数々、このような場をつくっていただいたこと、そして皆さんの心の中にトミニシ★エンゲキを残しておいていただけたことを心の糧として、明日からの日常を生きていこうと思っています。

 みんな、ありがとう。

                 古田彰信

広い世界を見ようぜ■■金城一紀「GO」感想

f:id:furuta01:20210908152852j:plain

 

 

勤務校の図書館が発行している「Library News」2021年10月号に、原稿を書きました。

7~8月に「高校生に贈る人権図書フェア」と言う展示をしたので、その流れで、金城一紀「GO」を高校生に向けて紹介しました。

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

 

  広い世界を見ようぜ

 

 みんなは本を読むだろうか。
 本は広い世界を見せてくれる。知らないことを教えてくれる。買えばお金がかかるけれど、図書館ならタダで読める。
 7月に図書館で「人権フェア」のコーナーを作ってもらった。住井すゑ橋のない川」などの名作から、昨年度講演に来ていただいた「せやろがいおじさん」の本まで並べてもらった。展示はもう終わってるけれど、本はちゃんとあるので、みんなが来るのを待っている。
 司書のN先生に「マンガの「ゴールデンカムイ」はアイヌ文化を学ぶのにとてもいいですね」と言ったら、な何と、サッと買ってくれた! とても嬉しい。これ、面白いのでとくにオススメ。マンガだから手軽に読めるし(ちょっとグロだけど)。
 N先生は「せっかくだから、ライブラリーニュースに、人権の本について、何か書いてくださいよ」と、ニコニコしながらおっしゃる。「やりますよ」と二つ返事で引き受けた。
 いい本を紹介するのは楽しい。「人権フェア」に置いてあった本は、どの本もとてもすばらしいのだけれど、その中から今回は、金城一紀「GO」を、今日は皆さんにすすめることにする。

 

 「GO」金城一紀 ★★★★★
 高校生の主人公が女子に出会って成長していく恋愛小説、と書けば、よくある話だと思うだろうが、これがどっこい、主人公が「在日韓国人」というところがミソだ。差別や分断、疎外感や葛藤が通底に流れてて、10代がとてもリアルに描かれている。
 主人公はケンカが強い。プロボクサーだった父親からボクシングを教わってきた。小学校時代のトレーニング中のセリフが忘れられない。左腕をまっすぐ伸ばして、グルっと一回転させられた主人公に、父親は言う。「お前の拳が引いた円の大きさが、お前という人間の大きさだ。手が届く範囲のものにだけ手を伸ばしていれば、傷つかずに生きていける。円の外には手ごわいヤツがいっぱいいる。殴られりゃ痛いし、殴るのも痛い。それでもやんのか、円の中にいる方が安全だぞ(大意)」
 マイノリティの側にいて、傷つきながら前に出て、つかもうと衝動的に手を振り回す。回ってこないボールを、自分の未来を、最愛の人を、幸せを手に入れるために。腕っぷしこそ強いけれど、ちゃんと傷つきもする主人公の切実さや苦しみが痛いほど伝わってきて、僕は泣けたし、その生き方にあこがれる。
 この小説、十代にこそ読んだ方がいい。壁にぶつかる主人公の姿の向こうには、狭い価値観や社会のシステムにとらわれて、流されがちな僕たちの姿が見える。差別や同調圧力がいたるところに見られる社会で、どう生きていくべきか、その「構え」を教えてくれる。その「構え」とは「俺は俺」。そう、俺は俺だ。
 人を気にして、すくんでばかりのわれわれは、狭い枠の中で飼われている羊のようなものになっていないか。群れの羊に一番見えていないのは、実は「自分」なのかもしれない。
 「GO」の主人公は、恋人の勧めで多くの本を読む。本は世界を見せてくれる。図書館で本を借りて読むことも、円の外にある何かをつかみとることだ。ケンカはしなくてもいいから、みんな、図書館へ行って、広い世界を見ようぜ。(了)

 

 

豊かな真実を 生きてください

 久しぶりに書きました。勤務校で発行する人権啓発新聞に掲載する予定の記事です。高校生向けです。

 

 

  あなたの考える「真実」とは 何ですか

 

f:id:furuta01:20210214052327j:plain

 

  個人的なことですいません。これを書いている古田の家には、小学3年男子がいます。
 近頃「名探偵コナン」が大のお気に入りです。二十巻以上ある劇場版DVDを全部観て、テレビ版を攻略中です。コミックも含め「名探偵コナン」には、子どももひきつける魅力があるようです。
 一方、古田は、田村由美という人の「ミステリと言う勿れ」という少女漫画が好きです。
 このマンガの魅力は、探偵役の男子大学生が個性的な点です。延々とよく喋ります。事件とは直接関係ない、生き方や社会的な問題に関して、女性や子どもなどの立場からツッコミを入れ、読み手の常識を揺さぶります。それで話が脱線するかと思いきや、本筋とからんで、なるほど、と思わされます。
 例えば「真実はひとつ」という刑事に対して、主人公が言うセリフはこうです。
 「真実はひとつなんかじゃないですよ」「人の数だけあるんですよ」
 ああ、何と挑発的なセリフでしょう。コナン君の決めゼリフは「真実はいつもひとつ!」です。作者が「名探偵コナン」を意識してること間違いないですね。
 ここで私たちが学ぶべきは「視点によって見え方が変わる」ということです。一つのリンゴでも、上から見るのと下から見るのでは形が違います。何でもないような段差でも、健常者と足の不自由な人では、受け取り方が全く違います。
 偏見とは「偏った見方」と書きます。今の自分の一方的な見方にこだわるだけでなく、いろいろな方向から眺めて自分を高めた方がいい。それが、被差別の当事者の気持ちを知ることにつながるのですね。

 

 と、サラリと書いてみましたが、こうした多面的な考えに基づいて思考したり議論するのって、今のところ、高校ではあまりできてないなあと思うんですよ。
 日本社会は同調圧力が強く、対立を好みません。わきまえていることが美徳という空気もあり、議論や対話が活発になりにくいです。正解があらかじめ決められているような空気があります。こうした雰囲気の中では、人に対する理解が深まらず、取り組みが表面的になり、自他の差別意識が温存されてしまいます。
 生きづらさを感じている人の「真実」より、エライ人のかたよった「真実」の方が尊重されて、押しつけられることもあります。さる2月3日、東京五輪パラリンピック組織委員会森喜朗会長が「女性がたくさん入っている会は、時間がかかる」と発言しました。女性蔑視を含んだ発言に対し、そのとき会議の場にいた大人たちは、一緒に笑ってスルーしてしまったそうです。それを聞いて「あ、ここでも同じことが繰り返されている」と、古田は思いました。

 自分がどんな「真実」を生きるのか、自分の意志で決められます。あなたは、あなたの真実を生きてください。でも、同じ真実を生きるなら、差別意識や偏見にまみれた「真実」ではなくて、自分の良心に従って、生きづらさを感じている人の側に立った、豊かな「真実」を生きてほしい、そう思います。

 


 「自分は差別しない」と思っているだけではダメです。愛想笑いとかしたら、もっとダメです。必要あれば、差別する人の言う「真実」に対して、言葉と態度で、毅然として「NO!」を示していく。差別は絶対に許さない。それが、僕の考える、豊かな「真実」です。
 勇気を示すのって大変です。ドラマのようには上手くいきません。ターボエンジン付きのスケートボードも、自分にはありません。でも、たとえグダグダになっても、踏ん張りどころはギリギリまで踏ん張りたい、そう思っています。(古田)

 

f:id:furuta01:20210214052857j:plain

 

呪いの言葉にあらがう

 本年度から人権教育係に復帰である。今年度は校内で「人権新聞」を発行している。この記事は7月発行の分。

 前の学校でもよく似た文を書いたが、内容を一歩前へ進めた。


 生きているかぎり、社会的な立場からは逃れられないが、教師だからといって、ことさらに「教師らしく」しているわけではない。むしろ逆だ。個人として書けることを、ギリギリのところで書く。学校に漂う「呪いの言葉」には負けない、同志ととともに、それがオイラの「自由に生きる」ための一歩だ。


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


人権作文の書き方ガイド


 一・二年の人たちは、夏休みに人権作文が宿題として出されるわけですが、みなさんなら何を書きますか? よくある疑問を、Q&Aでまとめてみました。もちろん三年の人も、読んでみて下さい。

Q1.誰かの作文を拾ってきたらバレますか。。
 A.はい。バレます。

 言葉には書いた人の姿が見えます。あなたの言葉と他人の言葉をなじませるのは難しいでしょう。今は剽窃や引用をチェックするソフトもあります。
 あなたの人間的評価が下がってしまうだけなので、やめておいた方がいいでしょう。

 

Q2.実体験もなければ、身の回りに差別などありません。どうしたらいいですか。
 A.見落としていませんか?
 
 何気ない会話等の中にも、考えるヒントがあります。ひょっとしたら、あなたが気づいてないだけかもしれません。「常識だ」「当たり前だ」と思っていることがらや、何でもない心の動きの中にこそ、ヒントが隠れているのだと思います。

 

Q3.作文を書くうえで、気をつけることは何ですか?
 A.「差別はいけない」といった、ありきたりの結論は避けましょう。
 
 「差別はいけない」ことなら、誰でも知っています。当たり前のことを書いても、人の心は捉えられません。あなたの視点は、あなただけのものです。自分の感性を大切にして、あなたでしか書けないことを書くべきです。
 立派なことを書く必要などありません。変にきれいにまとめなくてもいいです。じっさいに考えたことを、あなたの素直な言葉で綴りましょう。

 

 なぜ「自分の言葉」で語るべきなのか

 

 ここからが言いたいことであります。

 突然ですが、田村由美「ミステリと言う勿れ」(フラワーコミックスα)というマンガが面白いです。ミステリ仕立ての少女マンガなのですが、推理から離れて、人間観察の鋭い探偵役の主人公の言うセリフが鋭くて心に残り、オススメです。
 で、美形で細面の主人公が、こんなことを言っています。

 「「女の幸せ」「女は愛嬌」「女の武器は涙」なんて言葉は、女の人から出た言葉じゃきっとない。だから間に受けちゃダメです。女性をある型にはめるために生み出された呪文です」

 そういえば、誰かに都合のいい「常識」を、人に押しつけるために使われる言葉って、いたるところに転がっている気がします。
 「女のクセに」「男らしく」「○○はアホばっかり」「障がい者はかわいそう」「自己責任だから仕方ない」「逆らっても無駄」「いじめられる側にも問題がある」……とキリがありません。
 手垢のついた他人の言葉を使うということは、こうした言葉も無造作に拾う可能性が高まるということです。「常識」っぽい言葉を受け入れていると、思考の枠組みが狭められ、型にはめられた行動がしみついてしまいます。無自覚なのでなかなか抜け出せません。
 それを打ち破るには、深く考えて、あなたの生活実感や経験から出てきた具体的で腑に落ちる言葉、つまり「あなたの血肉となった言葉」で語ることしかないと思います。
 借り物の言葉に縛られていないかチェックして、自分の価値観に基づき、自分の思ったことを語る、それがあなたが「自由に生きるための一歩」になるのだと思います。人権作文を書くとは、そんな訓練に他なりません。あなたの思いを人に分かってもらわなければなりませんし、納得のいく文章は、なかなか書けないものですが、じっくりと取り組むことは、とても意味のあることだと思います。
 やっつけ仕事で通りいっぺんの、手垢のついた抽象的な言葉でお茶を濁すより、自分の中の差別意識と向き合って、自分の言葉で人権について書いてみませんか?
 健闘を期待しています。    (古田)

乱調夢想

 2020年4月、徳島県文学書道館が企画した「瀬戸内寂聴作品の感想文コンクール」で優秀に選ばれた一文に、少し手を入れて掲載します。

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


  乱調夢想

 

 自分は高校教員。いまは母校の城東高で勤務している。城東高の前身は、寂聴の出身校である、徳島高等女学校だ。
 先日、校内の図書館で『美は乱調にあり』を借りて読んだ。学校の図書はバーコード管理されているが、裏表紙の見返しに、なぜか昔の貸出カードが残っていて、そこに、四十年前、国語を教えてもらった女性教師の名前を見つけた。
 先生はどんな思いでこの本を読んだのだろう、ひさしぶりにその先生のたたずまいを思い出した。あの頃の先生は30代。今や自分の方が、はるかに年上である。ところが、オイラはいい年になっても、煩悩に振り回されている。
 そういえば高校のころは、大人になると、人格が陶冶されて、自己を統御できるようになると思っていた。ところが今の自分は、いまだに高校時代の延長線上にいて、生徒の前では繕っていても、相変わらずのボンクラぶりだ。
 人は、その人なりの生き方でしか生きられない。
 そして、筋金入りのロマンティストである寂聴(執筆当時は晴美)は、彼らの側に立つ。生々しくも情熱的な生き方への、ストレートな共感を惜しまない。
 「美は乱調にあり」の登場人物たちは、欲望や執着が元になった悩みや葛藤を隠そうとしない。大正時代、雑誌「青鞜」で活躍した「新しい女」、伊藤野枝。自由に生きることが今よりもはるかに難しい時代に、野枝は、自由恋愛(不倫)を堂々と行い、女性解放の先頭に立ち、情熱的で自分を偽らない奔放な生き方を貫いた。ストレートで常識や世間にとらわれない。
 現代はそんな生き方を許さない。学校も今や、コンプライアンスだの服務規律だの、管理管理の世界である。自由が保障され、物質的には恵まれているにもかかわらず、自由に生きられないのはどういうわけか。
 いびつなのは、現代の社会の側ではないのか。
 本書の冒頭、「青春は恋と革命だ」という言葉がいい。楽観的で、とてもまぶしい。勇気を奮い立たせてくれる。高校生にもぜひ聞かせたい言葉だ。
 無理を承知で言うと、寂聴先生には、いま一度、母校の講演にぜひ来ていただきたい。年齢は関係ない。体育館の全校生徒を前に「青春は恋と革命だ!」とアジテートする姿を夢想する。若者よ立て、常識や世間にとらわれるな、である。  
 言葉には力がある。人を思いがけない場所に連れていく。社会を変える力にもなる。
 (てなことを、夢想するんですよね)と、アタマの中の高校の恩師に問いかけてみる、そんな機会をいただいた、エネルギッシュな一冊である。

 

 

そして活性化の時代へ

 

こちらは2000年以降の徳島県高校演劇の状況を綴ったもの。「徳島県高校演劇70年のあゆみ」は、本年度秋の県大会時に会場に並ぶ予定です。

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

    そして「活性化の時代」へ
                      古田 彰信

 ゼロ年代の動向

 徳島県の高校演劇は、他県と異なる独自の進化を遂げた。浅香・紋田が拓いた伝統を受け継ぎ、創作脚本の割合が非常に高く、個性的な作品が継続して生み出されてきた。また社会に対する批判精神にあふれた作品が多く、それらの点において顧問の果たした役割は大きい。
 2000年、当時、県高文連会長、県高演協会長であり、城東高の校長だった浅香寿穂は、阿波農の田上二郎を城東高に迎えた。2004年開催の徳島全国大会にむけての配置である。人不足と多忙のなか、田上事務局長をリーダーとして、攻めの運営準備が行われたが、その過程で、徳島の高校演劇は活性化していく。
 田上がまず取り組んだのは仲間づくりだった。少子化の影響で他県の演劇部数が目に見えて減少するなか、徳島県大会の出場校は、1990年後半の12~13校から、2003年に17校まで増加した。2000年からは「文化の森演劇フェスティバル」、また「高校生戯曲コンクール」や、大会前の劇作研究会が毎年開かれ、上演や観劇、批評の機会も増えた。大会準備や運営、講習会などをきっかけにして生徒や顧問の交流が活発になった。顧問の劇作研究会は、毎年朝方まで議論が続いた。
 県大会審査員も、プロ演劇の第一線で活躍する著名な演劇関係者を呼ぶことが多くなった。四国ブロック全体も活気づいていた。「四国高校演劇祭」の開催(2000~)や、四国学院大学演劇コースの設置(2003)などをきっかけに、四県の交流が本格化した。2000~2003年の間に、川之江「ホット・チョコレート」(2000)、同「七人の部長」(2001)、丸亀「どよ雨びは晴れ」(2003)と、全国最小の四国ブロックは全国最優秀を三回獲得した。
 高校生や顧問は県境を越えてプロの上演や上位大会に積極的に足を運び、ノウハウや技術を吸収した。1990年代なかばからはじまった近畿総合文化祭の演劇部門への代表校派遣も引き続き行われた。こうした刺激も、徳島の高校演劇の活況につながった。
 その後、上演校数に増減の波こそあれ、田上の熱と方法論は、その後の事務局長(茅野克利、吉田道雄、吉田晃弘)に引き継がれ、高校演劇は、さらに盛況を呈していく。とくに近年の傾向として特筆すべきは、有力校以外でも顧問が本格的に創作に取り組むなど、演劇的にもテーマ的にも、問題意識の高い作品が並び、高い達成を成し遂げるようになった。とくに、2018年の第70回大会は、表現技術の底上げもさることながら、すべての作品に、現実と向き合い、高いレベルで芝居づくりに格闘した跡が見られたことに感心した。ややもすると、今やすべての演劇部が、野心的で、入れ込んで芝居作りに励んでいるのが徳島の現状である。

 2000年以降のおもな顧問の動向を記しておく。全体としては、多くの顧問が作品を重ね、経験にもとづくテクニックが蓄積され、作品的にも質があがり、さらなる円熟が見られるようになってきた。
 田上は、ゼロ年代の県高校演劇を牽引したのみならず、書き手としても多数の作品を残した。その活動は、1980年代後半からはじまり、1990年代の代表作としては鳴門工「MИP」(1991)、海南「神のいない三つの部屋」(1993)等、高校生に高い技術と精神を要求する、実に緻密な作品を発表し、2000年以降は高校生に寄り添いながら、多様な作品を残した。とくに2004年の徳島での全国大会では、阿波「子供の子供と子供たち」、城東「幽霊部員はここにいる」の二作品が代表として上演されるという前代未聞の快挙をなした。他にも阿波「よみがえる山形」(2001)、城東「マイナスイオン」(2002)、小松島「補習授業は暑くて長い」(2012)をはじめ、秀作を継続的に発表した。また今昔の演劇に精通し、劇作研究会でも多く発言し、県高校演劇の理論的な大黒柱として批評水準の向上にも貢献した。
 小規模校や支援学校に転勤しても、それぞれの場所で演劇部を興すという、演劇活性化の範を教員人生を通じて粘り強く示し続けてきた紋田正博は、今までの勤務校と同様、阿南養護ひわさ分校、その後2003年からは城西高に異動すると、生徒を集めて演劇部を立ち上げ、2007年の定年まで活発に活動し、前衛的な「紋田劇」を発表した。とくに阿南養護ひわさ分校「マジメにヤレ」(2001)、城西「あすべすと」(2005)は、卓越した身体性と祝祭性を生かした類例のない演劇表現が高く評価され全国大会にも出場した。
 富岡西「破稿 銀河鉄道の夜」(2004)で県最優秀となった古田彰信は、2006年から城北高へ転勤した。生徒創作を生かした城北「またあしたっ」(2011・2012・作者はタカギカツヤ)をはじめ、最近では城北「さらに、めっきり嘘めいて~Love&Peace~」(2015)、城東「暗渠」(2016)など、部の状況や社会状況を受けてさまざまな高校演劇の可能性を模索している。
 城南高で長く顧問を続けた善本洋之は、チャンバラや特撮ドラマ・格闘技等の要素を取り入れた娯楽的スタイルを貫き、大会での観客動員は常にトップであり続けた。どの作品も観客席を大いに沸かせたが、「餓武羅~血を吸う南蛮船~」(2010)では四国大会にも進出した。
 音楽への造詣を作品に取り入れ、饒舌な語り口とは裏腹に、現代社会が置き忘れてきた戦争などの逸話を一貫して掘り起こしてきた坂本政人は、最優秀・舞台美術・創作脚本の三冠を制した鳴門第一「kadenz!」(2006)をはじめ、「Out Take」(2008)、徳島市立「INTERLUDE!!」(2011)が県最優秀に選ばれたほか、他の作品も審査員から高く評価された。
 哲学的で現代アート的美学に彩られた、高校演劇の在来の文法には類例のない「高校演劇の極北」といった作風を貫き通してきた大窪俊之は、年々「演劇的上手さ」を増し、城ノ内「エバラ日記」(2007)で四国大会、「三歳からのアポトーシス」(2012)ではついに全国大会に出場した。高校演劇としては異質で先鋭的な表現に、全国大会上演後の長崎のホールは大きくどよめいた。
 生徒の持つ雰囲気を上手く生かした学園ドラマに定評のある斎藤綾子は、粘り強く転勤先の演劇部を勃興し、池田「破稿 銀河鉄道の夜」(2000)、同「My Friend No.nine」(2001)、富岡西「十七音」(2007)などを県最優秀に導いたほか、水産「Let's go 大浜海岸」(2005)などの高校生の勢いを感じさせる秀作を残した。

 2010年代以降の動向

 2010年代以降は、さらに若い顧問の台頭が目立った。海部「ジャムにいさん~メタめた坩堝ん と私」(2010)で県最優秀を得た吉田道雄は、世界を重層的にとらえ、誠実に思考し、現代の社会や学校でどう生きるべきかを問い直す作品を発表した。城の内「杏の日記~踊り手と読み手の両の手は言の羽」(2018)、同「ことりのがっこう」(2019・作者はリトル・バーズ(@受験いやすぎる))は、論理性・思弁性・文学性などのバランスもよく手練れた作品で、俳優も生き生きと映え、上位大会へ進んだとしても遜色ない仕上がりだったと思う。
 海部高で吉田道雄の後顧問となった生垣千尋は近年実力を蓄え、地域性豊かな海部高校の生徒の素の部分をうまく生かし、生活実感の伴ったセリフで綴った言語感覚豊かな作品を相次いで発表し、「プテラノドンは何思う」(2016)、「片道7キロ 40分」(2017)で2年連続四国大会へ進出した。
 阿波「ぷりうすなんかこわくない」(2010)以降、巧妙な作劇などで注目されていた吉田晃弘は、阿波「ハムレット・コミューン」(2014)、同「2016」(2015)で県最優秀を得て、それぞれ春の全国大会・夏の全国大会に出場した。いずれも、野心的なセット、喜劇スタイル等、見せる演劇でありながら、学校の「教育」の射程におさまらない社会的テーマや日本の現実の暗部が反映された問題作であった。城東高に異動してからの「スパゲッティフィケーション」(2018)、同「となりのトライさん!」(2019)では、さらに洗練を深めている。また後に県高演協主催になるアエルワ演劇祭(2015~)を主宰・発展させた。
 近年もっとも充実しているのは村端賢志である。富岡東羽ノ浦校で「避難」(2012)、「夜帰」(2013・原案川瀬太郎)と2年連続県大会最優秀を得ると、徳島市立高へ転勤後、「どうしても縦の蝶々結び」(2016、林彩香作,村端は構成)、「夕暮れよりもまだ向こう」(2017・下窪摩耶との共作)、「ユメちゃんはいつも不機嫌」(2018・中田夢花との共作)、そして生徒創作の「水深ゼロメートルから」(2019・中田夢花作)と4年連続県大会最優秀に選ばれた。高校生の陽の当たらない生活場面を舞台に、居場所がない人たちの葛藤を繰り返し描いている。巧妙に計算された舞台美術、心の動きを丁寧に拾う演技等、高い次元でバランスよく精緻に作り込まれて、完成度も高い。徳島市立高へ赴任してからは、高校生の芝居づくりを支援するというスタイルを確立し、いずれも成功をおさめている。とくに中田夢花は、「水深ゼロメートルから」では浅香寿穂賞を独力で得たほか、大人の中でも活躍できるほど在学中に大きく成長した。
 他、城東高・脇町高で顧問をつとめ、別役実的演劇を指向して独自の世界を構築した茅野克利は、城東「来る」(2011)で四国大会に進出し入賞した。また、紋田正博の方法論の後継者であり、2014年から2018年まで富岡西の演劇部を指導した岡本紳も、独自のスタイルを模索し「Typhoon!」(2016)、「Youth!」(2017)で浅香寿穂賞を受賞した。杜穂隆、前田由美子、澤光太郎の各氏も創作を始めており、今後の展開が期待される。
 以上、顧問にスポットを当てて21世紀の高校演劇を回顧したが、前述の中田夢花以外にも、県最優秀を受賞した城東「おくる」(2009・茅野克利との共作)の作者である志田真奈美、城北「またあしたっ」(2011・2012)の作者であるタカギカツヤ、浅香寿穂賞を受賞した城南「二十億光年とちょっとの孤独」(2018)の作者である山田陣之祐をはじめ、高校生も大きく育っていることも忘れてはならない。
                         (書き下ろし)

 

 

消えたクラス演劇、先鋭化した部活動「演劇」

 

  今年度刊行予定の「徳島県高校演劇70年のあゆみ」に、1970年代後半から1990年代までの、徳島県の高校演劇に関する文を書きました。

 昔のことを忘れないうちに。

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

 

「拡大の時代」から「先鋭化の時代」へ

     ー1970年代後半から1990年ころの高校演劇ー


                        古田 彰信

 かつて演劇は、今よりも少しだけ、普通の人にも身近なものだった。二十一世紀の現在からすると考えられないことだが、たとえば古田が通っていた1970年代の城東高は、伝統的にクラス演劇が盛んな高校で、文化祭になると、クラス演劇が毎年「十数本」上演されて賑やかだった。演劇部に入っていなくても演劇はできたのだ。

 さま変わりしたのは1978年度。ちょうど共通一次試験が始まった年。英数コース設置で成績優秀者が囲い込まれ(1976~)、文化祭の開催時期が10月から9月下旬へ前倒しされ(1977~)、土日開催が平日開催に変更されたあと(1977)、ステージ発表が二日から一日に短縮されたのだった(1978~)。納得いかない高校生に対する当時の教師の説明は「最近、文化祭のとりくみが低調になる傾向にあるので、積極的な取り組みが、今後、期間の延長の同意を得られる前提である」という訳のわからないものだった(※1)。

 城東の伝統だった文化祭のクラス演劇は、1977年までの十数本から、1978年には4本、1979年には2本、1983年にはゼロにまで激減する。

 紋田正博が日和佐高「劇闘日本の夏」で全国最優秀を得たのは、1984年である。これは、一般の人々まで届く大ニュースだった。徳島新聞における高校演劇の扱いは、文化系部活動の中ではまだ別格だったし、教師らしからぬ紋田正博の佇まいに、高校演劇なら何か面白そうなことができるんじゃないかという予感を覚えたのは、古田だけではなかったと思う。

 徳島の高校演劇は、創作割合が異常に高いことで知られるが、県大会の創作脚本の割合がグンと上がり50%を継続的に超えはじめたのは、1984年からである。その後、50%を下回る年はない。紋田正博の全国大会最優秀、そして創作脚本50%超えが同じ年に起こったのは、偶然ではない。紋田正博という「強烈な刺激」は確かにあったのだ。

 黎明期に佐坂茂男や遠藤米太郎が灯し、1960年代に浅香寿穂が洗練させ、紋田正博が開花させた「創作文化」は、新しい世代にも受け継がれていく。紋田正博はもちろん、藤家昇、三久忠志、東端孝、下川清、四方山坂、若い世代としては田上二郎、真鍋(善本)洋之、古田彰信…。この時期の書き手は多種多様であった。

 一方、教育は画一的・管理的な色彩を強め、演劇は学校の表舞台から疎外されていく。「学校は好きだ。だが、学校は嫌いだ」紋田正博の作品に何度となく登場する台詞に代表されるように、社会や教育に対する不全感を見つめ、あがき、葛藤し、社会や教育を鋭く批判する作品が目につく。これは教育の中で演劇のおかれた状況の反映でもある。かくして、保守的・画一的な徳島の教育の中において、高校演劇だけが突出して先鋭的であるという状況ができあがり、現在に至っている。

 「先鋭化の時代」は、全国大会への出場回数が15年で4回と少なかった。1986年に全国大会へ出場した紋田正博の日和佐「トカナントカイッチャッテ」は、戦争のみならず、反戦反核のあり方の頑迷さも笑い飛ばしたラジカルな問題作だったが、全国大会では、ラジカルであっていいはずの観客席の高校生から「ふざけっぱなし」「不謹慎」との拒否反応が出た。また県で三回最優秀を得た古田彰信の板野「Mの悲劇」は、四国大会では二位・三位・二位と全国大会への道を蹴られ続けた。実在の人物(世間が忘れてしまいたい人物)の影の部分にメスを入れたことが、いわゆる「教育的」観点からすると、全国大会に出場するにはふさわしくないと判断されたのかも知れない。

 それらの「過剰」を「失敗」と評するのは、いつも狭い勝利至上主義の手口である。徳島は、教育が持て余すような部分さえラジカルに受け入れ、互いに影響しあい、それらを血肉にすることで、高校演劇の枠を広げるような、さらに尖った作品を数多く生み出し、作家主義を確立してきた。

 この時代、紋田や田上の歯に衣着せない批評によって若い世代は鍛えられた。そして演劇の何たるかを上の世代から受け継いだ。試行錯誤の精神は「活性化の時代」に継承され、各校・各顧問の更なるオリジナリテイの開花を呼び起こすことになるのである。(書き下ろし)
      (※1 城東高校誌「渭山」1978年 第8号)