矛盾こそを受け止める
教師が嫌いで学校に違和感を覚えるからこそ私は教師になる、と言い去年教育学部に進学した人がいた。「学校や教師が好きで教師になる」という、いっけん矛盾のない人よりも、本当はこういう人を学校は必要としてるんじゃないか。紋田正博も「学校は好きだ。でも学校は嫌いだ」と言っているではないか。
— 古田 彰信 (@furutaakinobu) 2019年2月24日
スターリン死後のソ連の権力抗争をブラックな笑いで描く映画「スターリンの葬送狂騒曲」は、細かいエピソードが史実通りのくせに、史実と違う点も満載なので、どう見たらいいのか戸惑う。虚構としてのベリヤの死が突出。権力中枢のどす黒さ、すざまじさと、矮小化された政治家のイメージがリアル。
— 古田 彰信 (@furutaakinobu) 2019年2月23日
「プロの教師ならば~」という言い回しが好きな校長がいた。「高度プロフェッショナル制度」という言葉が大手を振ってまかり通る今ならはっきりわかるが、違和感を覚えつつも当時は皆が丸め込まれていた。彼が教師をプロ呼ばわりするときは、きまって短期的な成果を上積みさせたい時だった。
— 古田 彰信 (@furutaakinobu) 2019年2月23日