英数コースはなかった。

■上下関係が重視され、成果主義に陥りやすい部活動は、選別体制とは親和性がある。部活動はいまや教師をブラックな職場環境に追い込むほどに隆盛を極めている。また部活動によって生徒指導がなされているという側面もある。なぜ生徒指導と部活動に親和性が生じているのか、我々は注意深く考える必要がある。

 

■これとは反対に、教室(HR)の教育力は、犠牲にされ続けた。最たるものは、英数コースの設置だった。リーダーを引き抜き受験に囲い込み、連帯が削がれた。それは、その高校が受験体制に屈服した宣言でもあったのだ。

 

■オイラの現役時代、二つ上の学年までは、英数コースはなかった。城東高に英数コースのできたきっかけは、共通一次と総選制だった。総合選抜制度では偏差値による選別体制に対応できないと判断されたのだ。共通一次試験により大学の序列化が見事に完成されたとき、高校生も校内で序列化されたのだ。当時の教師たちは、どんな気持ちだったのだろうか。

 

■いま選別体制を批判する声は、ほとんどあがってこない。英数コース批判も共通一次センター試験)批判もなりをひそめた。当たり前になって、どこに問題があるのかが不明瞭になった。教師を日々忙しくさせておくのは、批判のとば口をふさぐためなのではないか、そんなことをふと思う。