乱調夢想

 2020年4月、徳島県文学書道館が企画した「瀬戸内寂聴作品の感想文コンクール」で優秀に選ばれた一文に、少し手を入れて掲載します。

 

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  乱調夢想

 

 自分は高校教員。いまは母校の城東高で勤務している。城東高の前身は、寂聴の出身校である、徳島高等女学校だ。
 先日、校内の図書館で『美は乱調にあり』を借りて読んだ。学校の図書はバーコード管理されているが、裏表紙の見返しに、なぜか昔の貸出カードが残っていて、そこに、四十年前、国語を教えてもらった女性教師の名前を見つけた。
 先生はどんな思いでこの本を読んだのだろう、ひさしぶりにその先生のたたずまいを思い出した。あの頃の先生は30代。今や自分の方が、はるかに年上である。ところが、オイラはいい年になっても、煩悩に振り回されている。
 そういえば高校のころは、大人になると、人格が陶冶されて、自己を統御できるようになると思っていた。ところが今の自分は、いまだに高校時代の延長線上にいて、生徒の前では繕っていても、相変わらずのボンクラぶりだ。
 人は、その人なりの生き方でしか生きられない。
 そして、筋金入りのロマンティストである寂聴(執筆当時は晴美)は、彼らの側に立つ。生々しくも情熱的な生き方への、ストレートな共感を惜しまない。
 「美は乱調にあり」の登場人物たちは、欲望や執着が元になった悩みや葛藤を隠そうとしない。大正時代、雑誌「青鞜」で活躍した「新しい女」、伊藤野枝。自由に生きることが今よりもはるかに難しい時代に、野枝は、自由恋愛(不倫)を堂々と行い、女性解放の先頭に立ち、情熱的で自分を偽らない奔放な生き方を貫いた。ストレートで常識や世間にとらわれない。
 現代はそんな生き方を許さない。学校も今や、コンプライアンスだの服務規律だの、管理管理の世界である。自由が保障され、物質的には恵まれているにもかかわらず、自由に生きられないのはどういうわけか。
 いびつなのは、現代の社会の側ではないのか。
 本書の冒頭、「青春は恋と革命だ」という言葉がいい。楽観的で、とてもまぶしい。勇気を奮い立たせてくれる。高校生にもぜひ聞かせたい言葉だ。
 無理を承知で言うと、寂聴先生には、いま一度、母校の講演にぜひ来ていただきたい。年齢は関係ない。体育館の全校生徒を前に「青春は恋と革命だ!」とアジテートする姿を夢想する。若者よ立て、常識や世間にとらわれるな、である。  
 言葉には力がある。人を思いがけない場所に連れていく。社会を変える力にもなる。
 (てなことを、夢想するんですよね)と、アタマの中の高校の恩師に問いかけてみる、そんな機会をいただいた、エネルギッシュな一冊である。