豊かな真実を 生きてください

 久しぶりに書きました。勤務校で発行する人権啓発新聞に掲載する予定の記事です。高校生向けです。

 

 

  あなたの考える「真実」とは 何ですか

 

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  個人的なことですいません。これを書いている古田の家には、小学3年男子がいます。
 近頃「名探偵コナン」が大のお気に入りです。二十巻以上ある劇場版DVDを全部観て、テレビ版を攻略中です。コミックも含め「名探偵コナン」には、子どももひきつける魅力があるようです。
 一方、古田は、田村由美という人の「ミステリと言う勿れ」という少女漫画が好きです。
 このマンガの魅力は、探偵役の男子大学生が個性的な点です。延々とよく喋ります。事件とは直接関係ない、生き方や社会的な問題に関して、女性や子どもなどの立場からツッコミを入れ、読み手の常識を揺さぶります。それで話が脱線するかと思いきや、本筋とからんで、なるほど、と思わされます。
 例えば「真実はひとつ」という刑事に対して、主人公が言うセリフはこうです。
 「真実はひとつなんかじゃないですよ」「人の数だけあるんですよ」
 ああ、何と挑発的なセリフでしょう。コナン君の決めゼリフは「真実はいつもひとつ!」です。作者が「名探偵コナン」を意識してること間違いないですね。
 ここで私たちが学ぶべきは「視点によって見え方が変わる」ということです。一つのリンゴでも、上から見るのと下から見るのでは形が違います。何でもないような段差でも、健常者と足の不自由な人では、受け取り方が全く違います。
 偏見とは「偏った見方」と書きます。今の自分の一方的な見方にこだわるだけでなく、いろいろな方向から眺めて自分を高めた方がいい。それが、被差別の当事者の気持ちを知ることにつながるのですね。

 

 と、サラリと書いてみましたが、こうした多面的な考えに基づいて思考したり議論するのって、今のところ、高校ではあまりできてないなあと思うんですよ。
 日本社会は同調圧力が強く、対立を好みません。わきまえていることが美徳という空気もあり、議論や対話が活発になりにくいです。正解があらかじめ決められているような空気があります。こうした雰囲気の中では、人に対する理解が深まらず、取り組みが表面的になり、自他の差別意識が温存されてしまいます。
 生きづらさを感じている人の「真実」より、エライ人のかたよった「真実」の方が尊重されて、押しつけられることもあります。さる2月3日、東京五輪パラリンピック組織委員会森喜朗会長が「女性がたくさん入っている会は、時間がかかる」と発言しました。女性蔑視を含んだ発言に対し、そのとき会議の場にいた大人たちは、一緒に笑ってスルーしてしまったそうです。それを聞いて「あ、ここでも同じことが繰り返されている」と、古田は思いました。

 自分がどんな「真実」を生きるのか、自分の意志で決められます。あなたは、あなたの真実を生きてください。でも、同じ真実を生きるなら、差別意識や偏見にまみれた「真実」ではなくて、自分の良心に従って、生きづらさを感じている人の側に立った、豊かな「真実」を生きてほしい、そう思います。

 


 「自分は差別しない」と思っているだけではダメです。愛想笑いとかしたら、もっとダメです。必要あれば、差別する人の言う「真実」に対して、言葉と態度で、毅然として「NO!」を示していく。差別は絶対に許さない。それが、僕の考える、豊かな「真実」です。
 勇気を示すのって大変です。ドラマのようには上手くいきません。ターボエンジン付きのスケートボードも、自分にはありません。でも、たとえグダグダになっても、踏ん張りどころはギリギリまで踏ん張りたい、そう思っています。(古田)

 

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