マン・レイ展



          (徳島県立近代美術館



 「トーキョー/不在/ハムレット」は、「わかりにくい」という評判が強いらしい。僕も、宮沢章夫の日記である「不在日記」や、小説版「不在」、過去の宮沢章夫の作品を見たことがなければ、この表現をどうとらえたらいいか、おそらく皆目見当がつかないだろう。


マン・レイは一貫した作風を持たなかった


 ということを考えたのは、その前に「マン・レイ展」(徳島県立近代美術館)を見ていたからだった。

 マン・レイは、マルセル・デュシャンらとともに、20世紀、ダダイズムシュールレアリズムの推進家として活動した。絵画・写真・コラージュ・彫刻など多岐にわたる活動を続け、とくに写真の分野に関しては、レイヨグラフやソラリゼーションを考案したことでも有名である。


 絵画に関して、マン・レイは一貫した作風を持たなかった。作風は、作品を解釈する足がかりである。彼の作品は理解されにくく、結果として芸術家としての名声を低めてしまったという。しかし、彼は意に介さなかった。自分に忠実に、主題や表現方法を変えながら創作活動に励んだ。自分のことについて、姪に尋ねられたとき、彼はこう答えたという。「私は謎だ」と。

 

「こだわらない」ことこそ、マン・レイの作風だった


 しかし、作風を持たないからといって、自我を持たずに創作活動をおこなったのではない。自我の問題と真剣に格闘したからこそ、彼は自分のことを「謎だ」と答えたのである。彼は、自分の作品を何度も作り直した。自作に対する執着は、絶えざる自分の問い直しである。理性信仰の現代。自我の問題は、ルネサンス以降の近代人の大きな問題であった。その意味で、彼もまた現代の作家なのである。


 しかし、現実問題、僕がマン・レイの作品を見たとき、美術館の解説なしで、彼の作品を解釈できたかといえば、甚だ疑問である。「トーキョー/不在/ハムレット」も同様である。最初に述べたように、予備知識がなかったら、「トーキョー/不在/ハムレット」を理解することはできないに違いない。しかし、理解できないからと言って、「ただならぬもの」に出会ったという直感を理性によって押しこめてしまうことは、とても惜しいことである。たとえ今は解釈しきれなくても、「ただならぬもの」を心に刻み、そのことを絶えず反芻することで、いつの日かより深い解釈に至ることができれば、それはとても価値のあることだ。