価値観の変更を迫る映画

 

■梅野正信「映画で見なおす同時代史」(静岡学術出版)はスゴイ。

 たった142ページ、よくある映画紹介本と思いきや、そのコンセプトがスゴイ。「観た人の世界観・価値観が変わる」そんな映画を厳選して紹介している渾身の本なのだ。影響されて何本か観た。


北アイルランド紛争を題材にした「ブラディ・サンデー(二〇〇二)」。日本に住む人で、北アイルランドの「血の日曜日事件」を知る人はほとんどいないだろう。一九七二年、平和的に行進していたカトリック系住民にイギリス軍が発砲し、罪のない住民十三名が射殺された事件を映画にしている。実話である。
 全編手持ちカメラでの撮影。徹底したドキュメンタリータッチ。観る者に事件現場に立ち会っているかのような臨場感をもたらす。射殺され泣き叫ぶ人々、現場の混乱、隠蔽を図る軍。一瞬たりとも目を離せない、緊迫と告発の映画。


■オイラは40年近く高校で地理を教えてきた。北アイルランド紛争は、地理Bの民族問題の分野で取り扱う。だが、いつも十分ほど説明して終わり。「IRAはテロ活動を行い、カトリック系住民の独立を主張してきた」程度で終わり。
 高校教師は、社会問題の多くを「単純化して終わり」でお茶を濁してきた。時間に余裕がなく教科書は厚く、「やった」というアリバイ作りのために、授業進度は猛スピードで速い。そんな授業が当たり前だった。そんな授業から高校生たちは学ぶ。「社会問題はとりあえず知っているだけでいい、二の次でいい」「制度に順応することが大切なんだ」と。
 そもそもオイラも、北アイルランド問題について語るべき内容を持っていなかった。何となく授業は成立してきたから、やりすごしてきた、という意識すらもなかった。痛恨の極み、である。


■安易な単純化は物事を見る目を曇らせる。単なる知識として、サラリと触れただけでは、社会の支配的な価値観や考え方を肯定するだけで終わってしまう。「映画で見なおす同時代史」をもう少し早くに読んでいたら、そして「ブラディ・サンデー」をもう少し早く観ることができていたらと思う。ほんの少し時間を長くとって、この映画を紹介するだけでも、世界の見え方は変わっていただろう。

 

■二〇〇一年の同時多発テロ以降「テロ=悪」というイメージが強化されている。「暴力はいけない」その通りだ。誰もこの言葉に反論できない。だが同時に、この言葉は、思考停止の呪文でもあると思う。
 暴力を起こすのはテロ側だから、悪者認定を受けるのは、いつもテロ側である。だがチェチェンでもパレスチナでも、そして北アイルランドでも、さらなるテロを仕向けさせたのは支配者側である。支配側の問題は隠されて「テロ=悪」のイメージだけが強化されていく。

 「ブラディ・サンデー」でも、イギリス側の関係者の罪が隠蔽される様子が描かれる。結局、殺戮に関与した関係者全員が無罪になり、そのことがきっかけで、その後数十年にわたる英国とIRAの凄惨な抗争がエスカレートし、三〇〇〇人にも及ぶ犠牲者を数えたのだ。


■我々は、授業の中で「IRA=テロ」とだけ説明していないだろうか。短い説明では、植民地支配の実態や、英国政府の不作為は伝わらない。
 二〇一〇年、英国のキャメロン首相は、血の日曜日事件について、軍の制圧行動が、市民の銃撃に対する反撃でなかったという事実を認め、公式に謝罪した。オイラも、過去の教え子に申し訳ないと思う。そういう意味で、オイラにとっても価値観・歴史観の変更を迫る一冊であった。この本を心にとめて、こうして映画の感想を書くのも、オイラの罪滅ぼしでもあるのだ。

 

■「映画で見なおす同時代史」は、十五本の「価値観・歴史観を変える映画」を紹介している。その中の一本、「ひめゆりの塔」は、これまでに何度も映画化されているが、この本は、一九九五年版の神山征二郎監督・沢口靖子出演のものを紹介している。比較のために、一九六八年の吉永小百合の日活版「ああひめゆりの塔」も観たが、全然違う。そもそも原作が違うってことを初めて知った。
 一九九五年版は、沢口靖子主演というより、どうみても永島敏行が主演であろう。また、一九六八年版では、校長先生をはじめ教師が「いい人」に描かれ牧歌的だが、一九九五年版では、学校・教師が国家組織の末端の協力者として屈服する様子が描かれている。学校は、奨学金の返済を盾に、女学生たちを疎開させずに動員する。そのことが、結果として犠牲者を生んだ。


■考えてみれば我々も、現代の学校で、偏差値による序列化・選別体制を維持するために動員され、制度を支えるための末端の協力者と化している。
 「映画で見なおす同時代史」は、事実に即し、映画の要点を簡潔に書かれている。紹介されている映画は、すべて観るつもりだ。

 映画は観た方がいい。本は読んだ方がいい。世界のことをもっと知った方がいい。そして、効率に流されず、ものを考えた方がいい。喧伝されるコトバを、うのみにしない方がいい。(了)

 

 

 

ブラディ・サンデー (字幕版)

ブラディ・サンデー (字幕版)

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