「高校別大学合格者一覧」への疑問

徳島新聞に掲載された記事に対するフルタの見解を、徳島新聞「読者の手紙」に投書した。批判的な意見なので掲載が絶望的なのは百も承知である。だがスルーして済ませてしまえば、「できる高校」「できない高校」といった、単純化された学力に対する差別的な世間的価値や高校の序列化を、現場が黙認したことになってしまう(他に反応してくれる人が何人かいれば心強いのだが)。

能力主義や学歴主義による差別は、一般化して浸透していて気づかれにくい。多くの学校で問題を生み、知らず知らず我々を蝕んでいる。その結果がこの記事と言える。ttps://www.topics.or.jp/articles/-/785086

 

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(投書/ここから)

 「高校別大学合格者一覧」への疑問
 
■一〇月二〇・二一日付の徳島新聞に「県内高校別二〇二一年度卒業生の国公立大合格者数」と「私立大合格者数」の一覧表がそれぞれ掲載された。どの高校からどこの大学へ何人合格したのかが一目で分かる表である。自分の知る限り、このような表が掲載されたのは初めてであり、とても驚いている。

■徳島では、それでなくても国公立大学に何人合格したのかを気にする人が多い。今回の掲載により、合格者数がそのまま学校間格差と受け止められるおそれがあり、成績による高校間の序列に、さらなる関心が向かい、拍車がかかるきっかけとなりかねない。

■競争の教育の激化は、多くの子供の自尊心を奪い、社会批判を忘れ、自己肯定感を下げ、不本意入学の原因になる。各高校が進めている特色ある学校づくりも、成績による序列化が強化されれば意義が薄れる。また、合格者が少ない場合、個人の合格先が特定されるおそれがあり、プライバシーの侵害につながる。

■社会全体の共通の利益という観点から、公立学校や報道には、もっと慎重であってほしいと思う。新聞の記事になるということは、私塾が「合格者〇人!」と謳うのとは、当然意味が違うのだから。
              (ここまで)


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■投書では触れていないが、アンケートに協力した高校も脇が甘い。今回八十一パーセントの高校が返答したそうだが、そもそも高校のホームページなどで大学別の合格者数を公表している。拾おうと思えばいつでも拾える。

■「学校目標などに、具体的な大学の合格者数(たいていそれは一部の有名大学に限られる)を示し、ホームページに載せるのはやめた方がいい」と、前の学校で校長に毎年言い続けたが、採用されることはなかった。合格者数の多い高校は、宣伝といった感覚で数を出したがる。そうなれば、数の少ない高校も公表せざるをえなくなる。

■今回の記事は、その延長線上にあるとも言える。唯一、「アンケートの趣旨に賛同できない」として回答を拒否した高校が一部にあったことが記事中で触れられていて、それだけがせめてもの救いである。