近藤史恵「エデン」新潮社


エデン

エデン


 まず驚いたのは、本書がデジタルコンテンツで生を得たことだ。初出は「新潮ケータイ文庫DX」。この作品のロードレースの世界へのこだわりの深さと、「ケータイ」とカタカナで書くメディアの軽さとはミスマッチに思えるのは、オイラのアタマが古いせいだろうか。


 本書は「サクリファイス」の続編である。あれから3年、今回はツール・ド・フランスを舞台に、たったひとりの日本人選手である白石誓(チカ)が、自転車レースの駆け引きの中に身をおき、自分の役割を果たしていく。チームの解散、薬物疑惑など、レース以外でも選手を惑わせる出来事をうまく配して、物語に読者を引き込んでいく。前作同様、ミステリ的な興味もあり、最後まで読ませる作者の手腕はたいしたものだと思う。


 物語は主人公のチカの一人称で語られる。チカはクールでストイック。まるでハードボイルド小説の主人公のよう。必要以上のことは喋らない。情動に身をゆだねることもなく、自分を高いレベルでコントロールする。汗くささもあまり感じさせない爽やかさだ。近藤史恵の筆致は、抑制が効いていて、必要以上のことは書かない、すっきりとした文章でドラマを前に進めていく。


 オイラが印象に残ったのは、第7章で、一瞬の判断で、チカのチームのエース、ミッコ・コルホネンが、最有力選手たちと逃げを打つ場面である。「これこそが年季と経験の差」と作者はいう。「状況を多角的に判断できる思考と、とっさに最良の手段を選ぶ勘はレースの中で養っていくしかない」オイラは自分の仕事の中で「最良の手段を選ぶ勘」を養うことができているだろうか。ふとそういうことを考えたのは、同時進行でいま高校生と一緒に演劇をやっているからだろう。


 教育もそうだ。一瞬一瞬が判断の連続。ツール・ド・フランスが3週間にもわたる長丁場なら、教育もまた、一年間にわたる長丁場である。いま、ここにオイラ自身がいることの濃密さを実感しながら、一日一日を過ごしていきたいと思う。