ジョン・D・ポッター「太平洋の提督−山本五十六の生涯−」恒文社


太平洋の提督―山本五十六の生涯

太平洋の提督―山本五十六の生涯


 映画が公開されたせいか、本屋に行くと、山本五十六の本が目立つところに並んでいる。本書を買ったのは、著者が外国人というところに興味を持ったから。外国人研究家は山本五十六のことをどのように記すのだろうか、そんな興味があって本書を手に取ったのだった。


 だが、タイトルには山本五十六を謳ってはいるが、人間山本五十六にはそれほど触れない。幼少期から海軍次官時代はさらっと流し、連合艦隊司令長官時代の大規模な作戦行動である、真珠湾攻撃ミッドウェー海戦が記述の中心である。それも山本五十六からの視点ではなく、日本側とアメリカ側の動きを詳細に俯瞰する視点によって書かれている。淡々と、歴史的事実が連ねられている。これは、映画原作本と銘打たれた半藤一利「連合艦隊指令長官 山本五十六」と対照的。主観的評価を極力排する濃密な筆致からは、息詰まる歴史そのものの迫力が伝わってくる。


 ただ一カ所だけ、作者が事実から離れて、想像力を働かせる記述がある。


 (以下引用)・・・・まことに、ミッドウェー海戦は運命的である。もし、大将がこの海戦で勝っていればどうだろうか? 間違いなく、二次大戦のすべては変わっていたはずである。たぶん、米空母を撃滅した山本大将は、やすやすとハワイを攻略し、米太平洋岸にせまっただろう。そのさい、それが米国民の士気にどんな影響を及ぼしたかは、推測が難しい。しかし、大将が望んだような早期和平交渉は実現できなかったにしても、もし日本艦隊が太平洋岸からパナマ運河入口にまでせまったとしたら、米国民の関心は、ひたすら山本大将に集中して、ヨーロッパからは遠ざかったことは間違いない。そうなれば米軍のヨーロッパ派兵はなくなり、かりにナチス・ドイツが敗北するにしても、それはほとんどソ連独力によるものであり、その結果は、鉄のカーテン英仏海峡にまで及んだだろう。
 そして、それらの事態は、ただ一九四二年六月四日午前八時三十分、南雲中将が中部太平洋でほんの一言、別の命令を下しさえすれば、必ず発生したのである。(267ページ)


 南雲中将の有名な「決断」は、太平洋戦争の趨勢を変えただけではない。世界の運命をも決定づけたのだ、と筆者は言う。
 空母同士の戦闘は、1942年5月の珊瑚海海戦が最初、そしてすぐ後、6月のミッドウェー海戦である。日米とも試行錯誤で、今考えるとずいぶんまだるっこしい戦いぶりだった。とくに日本は兵力的には圧倒的に有利でありながら、戦略的意図もあいまいなまま、のこのこ出撃したところを、先手をアメリカ側に取られ、勝てる戦いを負けた。歴史に「もし」はないが、筆者の言う「もし」は、スケールが大きく壮大で、かつそうなる可能性があっただけに、大変興味深い。



 オイラはこの映画を中学生のときに劇場で見た。センサラウンド・システムという、音響システムの映画で、臨場感や迫力がスゴイ、という触れ込みだった。チャールトン・ヘストンヘンリー・フォンダハル・ホルブルックグレン・フォード、ロバート・ワグナー、ロバート・ミッチャムジェームズ・コバーン三船敏郎ジェームズ繁田といったオールスター・キャストが出演していたが、演技する箇所も少なく、映画的には今ひとつの出来だった。ただし、「太平洋の提督」を読んだ後に見返してみると、細かな史実を追っていることは確認できる。