週刊朝日の橋下徹・大阪市長をめぐる連載記事「ハシシタ 奴の本性」と、一連の出来事について



 この件について、オイラが一番なるほどと思ったのは「日経ビジネス小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」の「物言いは“すべからく”上品に」である。雑誌の売れ行き不振と、予算規模の縮小に合わせて、人員が削減され、大見出しを打った大型看板企画のはずなのに、校閲を経ていないという淋しい事態が起こってしまったのだと小田嶋隆は言う。無料会員登録が必要だが、未読の方は読んでみるといい。オススメする。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20121025/238594/?P=1


 オイラの見解も示しておこう。週刊朝日の記事の内容について。タイトルのつけ方が扇情的に過ぎる。血脈主義によって橋下徹を批評しようという佐野眞一氏の意図は明確で、それは差別につながるおそれがあると言われても仕方がない。


 思えば、佐野氏は、最近作「あんぽん」(孫正義氏の評伝)でも「血の問題」を俎上にあげている。在日韓国人としての出自こそが今の孫正義を生んだ原動力であるというような「物語」に落としこもうとしすぎている筆者の意図が、グローバリストである孫正義を矮小化してしまっているような気がして、オイラは、いまひとつ乗れなかった。今回佐野氏の血脈主義を助長するかのような振りには「またか」という思いがある。


 ただし第1回の時点では、橋下市長が被差別部落出身であることと、彼の性格がどう関連しているかどうかは、明確に描かれていない。橋下市長の抗議をもって週刊朝日は連載中止し謝罪してしまったので、どんな形で佐野氏が血脈主義を描こうとしていたのかは、わからなくなってしまった。


 作品は全体を見て評せられるべきである。差別的であると受け取られる体裁で連載を始めたのだから、言論の自由を標榜し、訴訟や非難も覚悟したうえで、連載を最後まで続けるべきだった。でなければ最初から連載などしなければいい。タブーや権威に対して萎縮する空気や自主規制を助長するだけだ。


 小田嶋隆が上記の記事の中で紹介する「業界筋に流れている分析」に、なるほどと思う。「週刊文春」や「週刊新潮」「新潮45」のような出版系の雑誌は、訴訟になろうとなかなか謝罪しないが、「週刊朝日」のような新聞系の雑誌は折れる可能性が高い。そこを見越して、2011年に橋下徹の出自問題を報じた文春・新潮をスルーしたのにかかわらず、今回はうって変わって、朝日グループ全体への取材拒否を示しながら、週刊朝日から謝罪を引き出した橋下徹の手腕は「見事」であった。


 ただし、今回の事件を全国遊説の直前に取り上げ、話題を大きくして日本維新の会の躍進につなげようという橋下氏の手法は、結果的に「部落差別」を利用しようという思惑が透けて見え、政治的にすぎて共感できない。差別を認める認めないに勝ち負けはない。損得の問題でもない。あくまで良心の問題としてオイラは議論したい。

 
 関連エントリー
 ■[雑誌]週刊朝日2012年10月26日号「ハシシタ 奴の本性」 
 http://d.hatena.ne.jp/furuta01/20121020/1350719701



 小田嶋隆が指摘する「すべからく〜べし」の誤用を説いたのは、この人。若い頃、オイラも影響を受けました。


その「正義」があぶない。

その「正義」があぶない。