宇宙人王さんとの遭遇



 (結末に触れています)
 中国語翻訳家のガイアが、通訳を頼まれ秘密裡に連れていかれたのは、厳重警戒された場所。そこに拘束されていたのは、王さんと名乗り中国語を話す「イカ型宇宙人」。宇宙人は「地球で一番使われているのが中国語だからコミュニケーションが取りやすいと思った」といい、地球へやってきた理由を「文化交流」と言う。対する当局の担当者は、宇宙人の言うことを頭から信じず、地球侵略を疑い、宇宙人を執拗に尋問する。ついに拷問まで始まるのを見ていられなくなったガイアは、宇宙人を助け出し、アムネスティ・インターナショナルに連絡を取ろうとするが・・・・。


 スタッフ・キャストはよく知らない。見るからに低予算のイタリア映画。安手の作りで矛盾も多く、展開もショボめで、探せばいくらでもアラがある。アマチュア映画作家でも、もっとそれらしい映画作りをするだろう。


 それでも本作が話題を醸したのは、作中の宇宙人と地球人との関係が、あからさまに中国人と西欧人との関係のアナロジーと読めるように作られているからだ。中国語を話す宇宙人は、東洋人を思わせる風貌。眼は黒目がちで、小柄で肩を落とし、善良そうに見える。思わずウォール・ストリート・ジャーナル(の誰か)も「この映画は、欧米の中国に対する不信感を象徴している」とコメントしたとのこと。作り手も「してやったり」だろう。その言葉は、宣伝用チラシにちゃっかりと引用されている。


 ただし、そうした風刺や投げかけも、それだけでは子供っぽい思いつきの域を出ず、作品に奥行きを与えているとは言い難い。加えてラストにかけての展開にも疑問が残る。(以下ネタバレ))宇宙人に同情したガイアは警備を倒し、宇宙人を助け、脱出して表に出てみれば、窓の外では、今まさに宇宙船がローマを攻撃しているところ。宇宙人に「お前バカだな」と言われ呆然とするガイア。結局宇宙人は地球を侵略しにきていたのだ・・・・。


 気の利いたバッドエンドのつもりなのだろうが、「簡単に人は信じるな」「やはり中国人はずるい」といった教訓が導き出される展開は、東洋人に対する偏見を強化するばかりで、殺伐とした不愉快さが残る。ラストのどんでん返しが「だまされることの快感」につながらない。人のよさにつけこんでおちょくられたような、ざらっとした不快感が見終わった後に残る映画だった。