2016年3月11日放映「アーサー・ビナード日本人探訪 #12 今の日本を福島のレンズで切り取る作家」採録



▽タイトル
 「アーサー・ビナード 日本人探訪」「今の日本を福島のレンズで切り取る作家」


▽スタジオ
 元村有希子「特集です。今週はシリーズ企画「アーサー・ビナード 日本人探訪 今の日本を福島のレンズで切り取る作家」今回は、東日本大震災から5年、福島県で高校の教師をしている赤城修司さんをご紹介します。
 田野辺実鈴「福島の原発事故からも5年となりますが、赤城さんが住んでいるのは、福島県福島市原発から60キロに位置し、いわゆる居住制限地域には入らないため、避難する必要はない地域です。
 元村有希子「その福島市の現状を、赤城さんはずっとカメラにおさめてきました。はたしてそこから何が見えてくるのでしょうか。VTRをどうぞ」


▽2015年12月 法政大学


 (扉前に「第7回 大原社研 シネマ・フォーラム「上映会(スライドショー「僕の見た福島」」の張り紙)


赤城修司「……(壇上で説明しながら)あの震災前は育児4コマ漫画を連載してまして、震災後のこともマンガにしてるんですけども、これ、2011年ころの夫婦喧嘩の様子を描いたものなのですけれど、自分が仕事をやめて移住するというようなことを言ったらば、許さんという話の喧嘩になりまして、じじゃあここにいれば将来は保証されるのか、病気になったらいくらお金あったって足りないぞっていう話をしたらば、ここにいれば収入もあるし友達もいるし親戚もいるし住み慣れた家もあるし、これからは手厚い医療支援もあるっていうんですね。とんでもない 特別に医療支援があるようなところで子どもは育てられない!と。まあ分別のある人だったら世には出さない話だと思うんです。でもそこの接触こそが避けることができない、何で僕たちの社会がこういうふうにして動いていくかっていうことのすごく重大なヒントが含まれている気がして……」


▽テロップ「赤城修司さん 1967年 福島県生まれ」


ナレーター「福島市にする赤城修司さんは、高校で美術を教えている。2011年3月11日土曜日から現在まで、30万枚以上の写真を撮影してきた。福島市メルトダウンした3つの原子力発電所からの距離、およそ60キロ、日本政府からの避難指示は、出ていない――」


▽スライドショー(つづき その1)


赤城「……これがですね、震災直後から今まで行われている福島市内の除染の様子で、僕の高校のグラウンドの表土を切り取ったものをグラウンドに開けた穴に埋める作業をしているところです。実はこれらの写真を公開するときに非常にビクビクしながらやっておりまして、震災の年の夏の7月の写真なんですが、除染前なので、芝生の表面が4マイクロシーベルト(毎時)というところで子どもたちが遊んでいると。一方マンションの向かいで表土除染をした土を一時保管している脇で子どもたちが遊んでいるところです……」


 (子供たちの写真)


ナレーター「不条理が渦巻く中で生きていくには、どうすればいいのか。事故前の空間放射線量率は、この時の100分の1だった。見た目では、少しも変わらない。
 除染の効果もあって、街中の空間線量は低減した。ただ、放射性物質は、まだ、そこにある――」


▽スライドショー(つづき その2)


赤城「……4月6日に職員会議があったんですが、4月8日が始業式の予定だったものをいつにするか、校長原案が4月12日に実施しようというものだったのですが、まあ何人かの心配な教員がもっと延ばそうっと話をしたんですが「延ばそうっている先生方は、じゃあいつまでなんですか」って言われた時に、心配している教員が、みんな何も言えないんですね。いつまで延ばせば分からないから。本当はですね「ここが安全かどうかわからないから、みんなで別のところに移動して、落ち着いて勉強しよう」って言いたかったんですが「入学おめでとう。これからはここでがんばろう」と自分としては嘘をついた」と。自分の給料のために嘘をついたと思って撮った写真です……」


 ナレーター「赤城さんは、物事を細部まで語る。矛盾に満ちたこの五年間の内幕を、自分自身の矛盾も含めて」


 (「がんばろう福島」の幟の写真)


 赤城「このころから、がんばろう福島が町中にあふれ出す」


 (写真展の写真)


 ナレーター「――赤城さんは発信しつづける。見つめている現実を、すべての人に向かって。
 講演会だけではない。東京の出版社は、赤城さんの写真集を刊行した。写真展も、たびたび開催された。作品が多くの人を引きつけている。作者が、他にだれもとらえていないことをつかみ取っているからだ――」


▽夜 テロップ「2015年3月 スタジオ35分 東京都中野区」


 ナレーター「――2015年春。東京中野のギャラリー。僕が赤城さんに会うのは、これが二度目だ――」


 (やってくるアーサー・ビナードを、スタジオに招き入れる赤城さん)


 赤城「……(写真展の写真を前に)僕の家から500mくらいの公園の土を全部はがして新しい土に入れ替えるところ。でこれは河原の公園なので普通はトレンチを掘って埋めるんだけど、水が出るから穴掘れないんですよ」
 アーサー「ホントは掘ったあとだけど、霜柱みたいに見える……」
 赤城「(展示された映像を見ながら)これこれこれこれ、これが僕の家の玄関。細い方の管から高圧洗浄機の水が出て、その先でスプリンクラーの理屈で回してる。それが同時で泥を太い方の管で吸い上げる。町中でそれをやってる」
アーサー「何ていう名前だっけ」
赤城「スピナーって言ってる。その作業員はスピナーって呼んでる。僕はスピナーを知ってるから、こんなのがあるなんてひどいって思うけれど、普通の人にはこう見える……」


 (きれいな街の写真)


赤城「……何だろうな、どっちが嘘なのか混乱してくるっていうか、僕は本当のことを言おうって思って選んでるんだけれど、選んでる僕がまるで嘘をついてるみたいな……」


ナレーター「赤城さんは、もともと写真が専門ではない。学生時代から油絵を描いてきた。でも、メルトダウンの後、悠長に油絵なんか描いていられず、美術をやめたつもりで、自分の街を記録しだした。そんな赤城さんの写真を、アートギャラリーが、美術作品として展示するのだ……」


アーサー「(除染の看板の写真を見ながら)ご迷惑をおかけします。道路除染をしてます。でもさ、ご迷惑をかけているのは、放射性物質を大量に降らせたことだよね……」
赤城「……巨大すぎると触れられなくなるんだなあ人々はっていうのは感想のひとつ。そここそ突くべきだと思うんだけど、僕としては、海外からの非難っていうのはそれほど響かないけど、近所の人から非難されるって言ったら、それはいる場所ないですよね。あ、だからこそ人々は、難しい自体で声をあげなくなるし、いろんな悲劇のなかで、人々が発言力を失う。こういう理屈で世の中回らなくなるんだ、当たり前のことができなくなるんだ、というのは、震災後に思ってること……」


▽スライドショー「20141221」


ナレーター「――放射線物質は、除染したところで、なくならない。減りもしない。目につかないところに移そうが、見て見ぬふりをしようが、本質的には改善にならない。それどころか、目を背けている間に、自分がやられる可能性がある――」


 (スライドが次々に流れる)


ナレーター「――太平洋戦争においても、国民の命は軽んじられた。それがまかり通ったのは、なぜなのか――」


▽テロップ「1945年1月29日 本郷区駒込動坂下」(太平洋戦争、空襲の被害写真)


ナレーター「――たとえば東京で、1944年12月から9ケ月の間に、アメリカ軍における無差別爆撃は、計100回以上。11万7000人ほどが亡くなり、二人にひとりが、住む家を失ったとも言われている(空襲の被害写真)。ただ、そのことを記録した写真は多くない。市民がカメラを持って歩くことは、禁じられていたからだ。それを許された数少ない一人が、石川光陽さんという、警視庁のカメラマン。石川さんの写真には、71年前の社会が、映りこんでいる。殺されても焼かれても人々は「欲しがりません勝つまでは」と、ただただ受け入れていた。(写真はいつしか福島の写真に変わる)僕らが今、黙って受け入れているものは、これから何をもたらすのか――」


赤城「……(写真展のスタジオで、アーサーに)自分がいるとろの問題を見る力がなかったら、結局
それは見る力がないってことだから、おなじことを繰り返すんだと思うんですよね」
アーサー「多分そうですよね……」


 (写真展のスタジオで話をするふたり)


ナレーター「――身近な不条理な世界を描き出してから、5年になる。これも、未来への責任の引き受け方のひとつ――」


赤城「……今朝も朝6時に起きて、今日も講演で東京に行くけど、今ここ芝張ってるんですよ。そう、それを撮って……」


 (公園に芝を張っている写真)


ナレーター「――風化と風評被害に対処するには、まず、見て見ぬふりをやめることだ――」


▽テロップ「2013年6月13日」


 (赤城さんの自宅の庭の除染作業の様子を上から写した写真)


ナレーター「2013年6月、赤城修司さんの自宅の庭で、除染作業が始まった。放射能物質に汚染された土は、この状態で、次の仮置き場に移される順番を待つ――」


▽赤城さんの自宅


 (キッチンに座って対話するアーサーと赤城修司さん)


ナレーター「――僕がお宅にお邪魔したのは、2015年8月。話は当然、2011年3月のことから始まった――」


赤城「……12日の夕方4時頃だったかなあ、ここを出発したのは。全然知識はなかったけど、とにかく「メルトダウン」っていう言葉だけが頭に浮かんで。午前中は散歩してるんですよ、この辺。塀が倒れたり、地割れができたりしたやつを、子供と一緒に散歩してるんです。これ、すごいね、とか言って。そのころラジオで原子炉の異常を聞いて、ダメだヤバイと思って離れたのを覚えてますね。家族4人、会津に。当時アメリカが80キロ圏外を推奨した。(50マイル)。そう。ここが(原発から)直線60キロなんですよ。会津が直線100キロ。ここの線量があがったのが15日、そのときは一応子供たちは会津にいたんです……」


赤城「……夏頃だったと思いますね。全部撮るべきだって思い出したのは。2011年の夏頃。今年配の俳優さんとかタレントさんが子ども時代に終戦を迎えた時の記憶を語ってもらった本を読んだんですよ。小学校の先生が「お前達はお国のために死んでこい」っていう先生と、こそっと小声で「今もうすぐ戦争が終わるからな。終わったらお前たちの時代がくるからな」て小声で言ってた先生がいて、敗戦を迎えたら先生の言ってることがわかった。それ読んでて、ああ今自分が教壇で言ってること、すごく考えないでさらっと言ってることも、将来歴史的に検証されると。「がんばろう福島」そのっていうフレーズをどう受け取るかっていうのは、戦時中の「一億玉砕」みたいなものに将来なり得るというかもう、そのものなんじゃないかと思って撮り出したシリーズみたいになってるんですけど、最初緊張感が高い時に見つけたモチーフを今は惰性で撮ってるだけで、本当は今のシーンで見逃しているモチーフがあるんじゃないかっていうのは常々。人間が物事に慣れるスピードとか、諦めるスピードとか、変な話だけど、すごく興味深い現象っていうか……」


赤城「……実社会に自分が何らかのアクションをするっていう訓練は、相当欠けている気がしますね。むしろそうじゃなくて(体制に)乗っかる訓練を小学校から全国民にさせているっていう感じ……」
アーサー「それは70年前、80年前の日本も変わらないよね」
赤城「うんうん」
アーサー「それに一番加担しているのは先生だよね」
赤城「奴隷が奴隷を作るっていうか、そういうイメージが。……だって木がこれだけ騒いでいて(福島を)離れてないわけですからね、この矛盾たるやっていうか……」


▽写真(スライドショー風に)


ナレーター「――赤城さんが抱えている矛盾は、彼のものではない。福島市民の矛盾でもない。東京電力福島第一原子力発電所の名前にあるとおり、そもそも東京が抱えている矛盾だ。もっと言えば、メルトダウンを後始末するすべを持たない人類の抱える矛盾と言っていい。未知の時代の、矛盾の最前線に、赤城さんが立っている。彼に見えているものを、僕もみつめる必要がある――」 


▽福島の街


 (歩く二人)


赤城「……911後のアメリカも似てる?」
アーサー「そうですね」
赤城「(並木を観察したり写真に撮ったりしながら)あの向こうから二番目の木とかがわかりやすいかな。白く幹がなってるの、除染で幹を磨いたあと(木のアップ)」
アーサー「人の背丈より、ちょっと上くらい?」
赤城「そうですそうです。スチールウールみたいなもので磨いてる……」


 (駐車場に置かれた表土除染をした土を前にして)


アーサー「……セシウムが嫌い、ストロンチウムが嫌いっていう」
赤城「それが非常に言いづらくなっちゃう。もちろん周りは遮蔽用の土で囲ってあるから、線量の数値は低い。理屈としては綺麗になってるんだけど」
アーサー「ここに全然違和感なくいられるんだよね」
赤城「そうそう、あちこちにあると、いちいち反応してられなくなっちゃう」
アーサー「スターリンも言ってたんだよね、一人の人間の死は悲劇だ。百万人の人間の死は統計だ……」


▽車での移動。窓外の風景。


 (雑草の生えた土地)


ナレーター「――この土の中では、ずっとたくさんの生き物たちが生息してきた。表土をはいで、そこの生態系を根こそぎにする。それは、過去を消すことでもある――」


 (グリーンのシートでおおわれた、表土除染をした一時保管の表土を横目で見ながら)


赤城「……何の感覚もなく前を通り過ぎるようになるわけですよね。僕もそう言ってこれを写真に撮りながら、でもその直後にもう出勤だからああ行かなくちゃと思った瞬間に、僕もこの前を通り過ぎる人間に加わるわけですよね……」


 (表土除染をした後の表土の写真。次々と)


赤城「……今の自分の足下の局面が歴史的に見てどういう状態なのかを考えることって、思っていたよりずっと難しいっているかっていうか(アーサーと赤城、会話している)。全員避難しなさいって言われた街でこれが起きてるのと、その外側、ボーダーの外側、ボーダーの外側で全員が普通に暮らしてる中で、これがある……」


 (表土のシートの上。ラベル「除染土砂一時現場保管」)


赤城「……この汚染土も、この地区の仮置き場が決まれば運び出されるから、今撮らないと撮れない証拠写真、空襲直後と一緒で……」


 (ラベルを貼った表土の写真)


▽テロップ「1945年3月10日 浅草区花川戸」(太平洋戦争、空襲の被害写真。焼け焦げた遺体)


ナレーター「――(戦時中 空襲直後の写真)東京大空襲を写真で記録しつづけた石川光陽さんは、戦後自宅の庭に穴を掘り、フィルムを埋めて守った。(石川光陽さんの写真)僕らは、そのおかげで、戦争の正体を確認することができる――」


▽地区の仮置き場(公園の背後に大量の除染表土)


赤城「……ここは、この地区の中の仮置き場。駅から2〜3キロの、この近郊の地区のやつ。地下にも4段くらいあって、向こうまで続いている……」


▽ドライブの車窓「三叉路」


赤城「……ここ三叉路に分かれているので、ここ一番右側に行ってください。これが造成して全部木を切り払って、元はうっそうたる森だったんです」
アーサー「すっげー」


▽巨大な除染表土の一時保管場所(建設中)の脇


赤城「……新しく(仮置き場を)作ってるところです」
アーサー「ありゃりゃー」
赤城「これが、山の斜面に沿って3段続いているんですよ。僕が撮影にくると、ランニングが趣味の人がここを走って登って行ったりするんですよ。で何撮ってるんですかって聞かれて「仮置き場です」って言うと「ああやっぱりそうだったんですか」とかって言いながら(笑)……」


▽除染表土の一時保管場所(建設中)のそばの道路


赤城「……(道路脇を指して)ここなんかすごいわかりやすいですね、ほら、スピナーの跡……(作業している人に)……お疲れ様です。ここはお盆休みとらないんですか(作業員/取るよ)今日はやってるけれど、まもなくおやすみ?(作業員/そうそうそう)……」


 (スピナーの跡のある道路のアップ)
 (道路で対話を続けるアーサーと赤城さん)


赤城「……である日、回覧板に「ここに作ります」っていう結果報告がぽろんと入っていて」ああ、これは定点で撮ろうっておもって、そこから延々と同じ場所で撮ったんですけど、まさかそこの斜面を全部削るなんて思ってないから、向こう側の写真は撮ってないです……」


 (山から見た街の遠景。アーサーと赤城さん、眺めながら)


赤城「……電気も来てるしテレビもやってるし、まったく変わりない。何にも変わりないです……」
アーサー「……でも、神風吹かないよ……」


▽除染表土の一時保管場所


 (アーサー、除染表土の上に乗って)


アーサー「……でも草は堂々と生えてくるから 植物は遠慮してないよね。こんにちは(出会った人に挨拶をする(こんにちは)」
赤城「文明の突端っていうか」
アーサー「ニュークリアパワースポットだよな。ここだよね、いろいろ結果が出て (アーサーはフレコンシートの上に座って)その結果を踏まえて考えるって、ここに座らないでどこに座るんだっていう……」


 (スピナーの跡のある道路)


ナレーター「――どうにも消せない物質を集めては移動させる。除染のもう一つの目的は、人々の記憶を消すことではないのか――」


 (取材中の赤城さんのアップ)


赤城「……人類に共通の行動パターンみたいな、そういう問題に触れかけている、そんな気がするんですよね……」


▽テロップ「協力:法政大学 大原社会問題研究所 スタジオ35分 / 語り:湯浅真由美」(主に赤城さんのポートレート


ナレーター「――なかったことには絶対させない。自らの矛盾とも闘いながら、自分が今いる日本の問題を切り取って鮮やかに記録する。赤城修司さんは、そういう作家だ――」


▽テレビ局「取材を終えて」


アーサー「……アンデルセンの傑作のひとつに「裸の王様」っていう話があって、その王様を指さして「裸だ」と指摘した子どもは、詩人であるって、よく言われるんですね。詩人の果たすべき社会的役割は、誰も言わないことをいう、大事なことなんだけれど、誰も向き合わないことを指摘することだって、そういうふうによく言われるんですね。僕は赤城さんと出会って、彼の住んでる街を一緒に歩いて、そして彼の作品たくさん見せていただいて、途中から赤城さんは、何なのかなあっていうふうに気になりだしたんですね。元々油絵を描いてた、そういう美術家なんですけど、今は彼は描いてないですね。写真はたくさん撮ってるんですけれど、写真家って感じでもない。それで裸の王様っていう話が思い出されて、もう赤城さんはまさにそういう役割を果たしてるんだって感じました。本人がいやがるかもしれませんけれど、僕は赤城さんの肩書きに一番ぴったりなのは、詩人だなあと思っています……」