「なぜ、これがアートなの?」



 アメリア・アレナス著/福のり子訳「なぜ、これがアートなの?」淡交社1998を読む。



 我々は、現代アートに触れるときに、「なぜ、これがアートなの?」「何、これ?」という感興を抱くことがある。また、現代アートは「わからない」とよく言われる。


 そうした疑問への著者の解答が、この書である。著者は、元ニューヨーク近代美術館の名物講師。本書は、具体的な現代アート作品についての詳細な解説である。ひいては、作品を解釈するための、具体的でわかりやすい著者の考え方を提示している。本書は、著者の解釈のプロセスを詳細に追うことで、現代アートを理解していくうえでの良質なガイドブックとなっている。


 アートを理解するには、決まりきった道筋があるわけではない。この書にふれられているとおり、「ある作品は直感的な反応を要求しているし、他の作品は時間をかけて、じっくりと見るという態度を鑑賞者に期待している、というふうに、それぞれの作品が独自の方法で鑑賞者を招いている(本書)」というふうに、作品によって違う。

 また、多くの作品には、解釈の自由さがある。それは、百人の鑑賞者がいれば、100通りの解釈がある、ということである。ということは、作品を認知し解釈するプロセスにおいて、「自分は何を考え、どう感じる人間なのだろうか?」ということを考えることができる。現代アートについて考えることは、すなわち「自分の心を問い直す」という作業である。


 僕が現代アートに魅かれるのは、こうした「解釈のプロセスを意識する」ということを与えてくれるからだ。それは、現実のさまざまな局面を読み解いたり、常識という思考のぬるま湯にひたっている自分自身を改めて見つめ直すきっかけになる。


 古典的な作品の多くは、描かれてあることがわかりやすい。いや、鑑賞者が本当に分かっているかどうかはともかくとして、「わかったような気になりやすい」といった方が正確かも知れない。作品は具体的な表現をとる場合が多いので、鑑賞者は、とりあえず自分の表面的な価値基準や理解のモノサシに作品をあてはめて、安心することができる。そうした鑑賞の姿勢は、ある種の思考停止に陥る危険性もある。自分の快不快で、安直に作品の評価を下してしまったり、権威的なものを無条件で受け入れたりということは、よく見られることだ。


 その点、現代アートは、抽象的な表現が多い。たとえ具体的な表現であっても、どこにでもあるような風景や人物を、当たり前の手法で描いているわけではない。一般に「分かりにくい」。それは、表面的な鑑賞者の認識に揺さぶりをかける仕掛けでもある。


 「鑑賞」という行為は、「作品」と、「鑑賞する者の認識」によって成立する。現代アートのそれは、流動的であり、とらえどころがないがゆえに、スリリングであり、面白いと言える。本書は、そうした現代アートの特質を、僕に改めて考え直してくれた。そういった意味で、この本は良書である。