「ソーシャル・ネットワーク」


THE SOCIAL NETWORK

THE SOCIAL NETWORK


 若くして富を築いたマーク・ザッカーバーグ。振られた恋人を見返し取り戻すために、なんと巨万を生み出すFacebookという仕組みを作ってしまった不器用な天才オタクの物語。


 この世の中は「仕組みを作ったものが勝ち」と言われている。世界を動かす仕組みを作り上げたザッカーバーグの物語を、単純なサクセス・ストーリーとして描くこともできるだろう。しかし、この映画、とてもシニカルだ。人とつながるための仕組みを作った功労者が、それに固執するためにいっそう孤独になるという変化球のアングル。何という「皮肉」だろう。


 各エピソードは、淡々と描かれる。だが単純ではない。とくに、シーンのつながりには、観客は何度も混乱させられる。過去のエピソードが現代の尋問シーンと唐突につながったり、新しい登場人物が急に出てきたり。それは作り手の意図的な仕掛けなのだろう。混乱させられるたびに、観客は「何がおこっているの?」と思う。アタマを使って主体的に映画を見ようとする姿勢を観客に求める。過去のフィンチャー作品と比べると、表面的で先鋭的なヴィジュアル表現こそ影を潜めたが、印象的な音響の使用なども含めて、潜在意識にガツンとくるシャープな演出は健在だ。


 ただ、勧善懲悪ではないし、必要以上にドラマティックでもない。おまけに、伝記映画で描くには、ザッカーバーグは人間的に矮小だ(もちろんそうした矮小な人間が、巨万の富を一代で築いてしまうことが現代的とも言えるのだが)。ザッカーバーグの葛藤は、好きだったかつての恋人を見返し振り返らせることができるかどうかという、まるで学園ドラマのようなスケールだ。だから、この映画、「市民ケーン」などと比べると、いかにも小粒に見える。


 実話という縛りがあるせいか、主人公をどんな人間だと思うかは、観客にゆだねられている。主人公の中に、嫉妬や不器用さや不誠実さをオイラは見た。人間は誰も完璧ではない。ザッカーバーグは私たち一人ひとりである。
 ただ、そうした人間のダメさをスクリーンで見たいかと言われれば「ウーン」と思う。映画らしい映画、映画だけで完結する「物語」を求める者には、この映画、物足りないと思うかも知れない(正直オイラもそうだ)。多面的な人物造形、独創的な演出表現を追求しようとする姿勢には敬意を表するが、アカデミー賞前夜のマスコミなどの持ち上げぶりは、過大評価のような気がする。「ゴッドファーザー」「ディア・ハンター」などの過去の骨太で意欲的な作品と比べると、描いている世界の小ささが、どうしても気になってしまうのだ。