1977年徳島の映画事情


 徳島の映画事情について少し書いておく。
 今では考えられないことだが、当時、徳島県内には20館の映画館があった。県庁所在地の徳島市(25万)だけでなく、2万〜6万クラスの小松島(2館)、阿南、鳴門、鴨島、池田にも映画館があった(徳島市以外の映画館は、1980年代になると姿を消していく)。徳島市以外の映画館でも、盆と正月はまだ一般映画を上映していたし、新聞広告も出していた。現在これらの映画館20館のうち、現存し、映画の上映があるのは徳島ホールのみ。ただし、ここも、常時上映ではなく、貸し館業務で多目的ホールとして経営されており、「映画館」ではなくなっている。


 徳島市にすら映画館がなくなった


 2011年3月現在、徳島には県庁所在地に映画館がない。ちなみに、少し離れた板野郡北島町にはシネコンシネマサンシャイン徳島」があり、2001年12月1日より8館で営業中。こちらは、いかにも郊外型のシネコンらしく、子ども向け映画や、邦画の注目作で独占されている。2008年〜2009年にかけて、アタック平和・ドルビー平和のあった徳島市蔵本町の平和会館に、カフェ併設の「シネアルテ」がオープンしたが、2009年末に閉館。


 1977年当時、2本立てが多く、週代わりの館も多い。ロードショーも今と比べるとそんなに多くなかった。上は2月の上映表だが、閑散月らしくリバイバルが多い。まだ2番館3番館もそれなりに盛況だった。ヴォデオデッキやレンタルは、まだ一般的でなかった。「映画は映画館で」という、映画にとっては幸せな時代だったのである(あとはテレビの洋画劇場くらいか)。


 かつて映画館がたくさんあった徳島市内のアーケード街や、小松島二条通りは、シャッター街と化し、かつての賑わいも昔のこと。とくに小松島中心部は、フェリーの発着場としての機能がなくなったせいで、閑散。人もまばら。かつてはフェリーが着いたら、たくさんの人が街に繰り出していたものだ。街には寿命があり、栄え、衰えていく。映画館は、ある時代の象徴であり、繁栄の名残であった。


 市民映画館を設立できないか


 個人的には、徳島市に映画館を復活させようと夢想していた時期もあった。シネアルテのあった、徳島市蔵本町の平和会館(アタック・ドルビー平和)が月42万円で賃貸に出されており、何人かで分割出資して、復活できないかと考えた。市民映画館といった、共同出資して運営されている映画館も全国にはいくつかあるらしい。(たとえばシアターキノ(札幌)http://theaterkino.net/what.html


 だが映画館の経営は専門的知識がないと難しい。保健所による営業許可、プリントの借出、機材や場内設備、税理・社会保険など会社運営の知識、運営費に月どれくらい必要なのかなど、知らないことだらけ。閉鎖的な業界で、ハウツー本も参考書もない。ひとりの労力でできることではない。夢想はいまだ夢想のままだ。


 とりあえず、オイラは、せめてこうして、徳島の映画の歴史を書き記しまとめておこうと思う。とりあえず1977年から始めたが、さかのぼることができるまでさかのぼり、コメントを記していきたい。それがオイラを育ててくれた徳島の映画に対する恩返しだと思っている。