平田オリザ+松井孝治「総理の原稿−新しい政治の言葉を模索した266日−」


総理の原稿――新しい政治の言葉を模索した266日

総理の原稿――新しい政治の言葉を模索した266日


 鳩山由紀夫の演説の作成を、平田オリザが手伝っている、一昨年、そんな話を聞いた。そのときは、単に演説原稿の下書きをしているのだろうと勝手に思っていた。その後、鳩山総理の演説が印象深いという話は聞いていたが、実際にオイラ自身が内容を確認することもなかった。政治のコトバに期待も関心も持っていなかった。
 だがこうして本書を読んで実感したのは、平田オリザ松井孝治、そして鳩山由紀夫は、「新しい公共のコトバ」を創ろうと奮闘していたのだなあということである。


 コトバが変わると人々の気持ちが変わる。政治が変わる。社会も変わる。人々のコミュニケーションのスタイルも変わる。だからリーダーこそが、しなやかなコトバ、自分のコトバで語りかけることは、本当に大切だ、本書を読んで改めてそう思う。
 しかし日本の政治のコトバは、誤解されないように、揚げ足を取られないように話されることが多い。だから政治のコトバは硬直して聞こえる。政治家自身も、定型化されたコトバで事たれりとしているように見受けられる。


 まずコトバありき。コトバがあるから、思想や哲学が生まれる。コトバのないところに高邁な理念は生まれない。
 そしてそれは政治の場に限らない。教育の場でも同じだと思う。自分で考えたコトバで、自分の考えを披露することに意味がある。


 松井孝治は言う。「総理がきちんと準備をして思い切った発言を行えば、世の中は相当引っ張れる・・・・精妙な表現で国民や国際社会に自らの思いや方針を提起していけば、もっと大きく、かつ質の高いリーダーシップをとれる」
 残念ながら、鳩山内閣は短命に終わり、新しいコトバの模索は志なかばにして挫折した。しかし、しなやかなコトバによって、新しい連帯を編み上げていく試みは、我々によって継続されていくべきだと思う。ちょうど駒崎弘樹氏のブログから引用されている言葉が印象的である。


 「もはやボールは政治ではなく、我々にこそ投げられている。
 政治家や官僚を叩きながら確実に腐っていく我が国の中で、僕は今日からの自らの行いによって、半径1メートルの中で1ミリでも社会を変えていこう、と」


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 「総理の原稿」は、この作品のタイトルを意識しているよ、きっと。