小出裕章氏講演「原子力の専門家が原子力に反対するわけ」2011.3.20(日)於アクティブやない


※YOU TUBEにupされている、資料的価値の高い小出裕章先生のご講演を筆耕した。動画はこちら。

 ・・・・・現在大変な事故が進行中です。その事故が、本当の破局に至ってしまうのか、それとも、現在現場で被曝をしながら働いている人たちの努力によって、今の状態で押さえ込めることができるのか、私はどちらだかよくわかりません。私はこれまで40年間原子力に反対してきた人間ですので、東京電力はいってみれば、敵です。喧嘩相手でした。でも、今このときには、とにかく東京電力に踏んばってもらって、何とかこの事故をこれ以上大きくならないように押さえこんでほしいと、エールを送りたい気持ちでおります。


 福島の話をしだしますと、とってもあの、時間が足りないと思いますので、まずは今日は、原子力発電とはなんなのかと言うことを皆さんにお伝えしようと思います。


 今日のタイトルは「原子力の専門家が原子力に反対するわけ」というタイトルです。何で私が40年間も原子力に反対しつづけてこなければならなかったのかということを聞いていただきます。


 原子力と言えば皆さんは何か面倒くさいことをやっていると、科学的に難しいことをやっていると思われるかもしれませんけれども、そんなことはまったくありません。非常に単純なことをやっています。お湯をわかすということです。皆さんはご家庭でヤカンでお湯をわかす、石油ストーブでお湯をわかすことがあると思います。電気を使ってお湯をわかすこともあるでしょう。それとまったく同じです。左の下に火力発電所の模式図があります。火力発電所というのはパイプの中に水を流します。この水を、外から石油石炭天然ガスなどで燃やして暖めます。暖められた水は沸騰します。吹き出してきた蒸気はタービンという羽根車を回します。それで発電機がつながっていて電気を起こす。これが火力発電所というものの構造です。要するにお湯を沸かしている。


 じゃあ原子力発電所というのは何をやっているかというと、このまゆのような、カプセルのようなものがありますが、これが原子炉圧力容器と呼ばれているところです。皆さんさんざん最近のテレビのニュースなどで聞くと思いますが。圧力容器というのが、この繭の形をした、これです。えーこれは、鋼鉄の容器です。みなさんが家庭で圧力鍋をもし使っているとすればそれと同じようなものです。中にウランを詰めた燃料棒というものがありまして、これが炉心と呼ばれているものです。ここでウランが燃えて熱が出ることになっていますが、この熱で水を沸騰させて、蒸気にして、このタービンを回して、発電する、これだけのことです。要するにお湯をわかして蒸気を吹き出させるということだけが、やってることの中身なのです。


 では、原子力発電だけがとてつもない危険を抱えていて、都会には決して作ることができなかったのか、ここで燃やしているものがウランだからです。ウランを燃せば核分裂生成物という放射能ができてしまう。それを避けることができない。そのために原子力発電所だけは都会に建てられない。


 そして、生み出してしまう核分裂生成物、いわゆる死の灰と呼ばれるものですけれど、その量がとてつもなく膨大です。いったいどれくらい膨大かということをわかっていただきたくて、今からここに、四角をふたつ書こうと思います。


まずはじめの四角をこの左の下のあたりに書きます。見えたでしょうか。これはいったいなにかというと、広島の原爆が爆発して、いっぺんに広島の町は壊滅してしまったのですが、そのときに燃えたウランの量が、この四角で表しました。800グラムです。皆さん手で持てますよね、800グラムくらいなら。それくらいのウランが燃えて、800グラムの死の灰ができました。それによって広島の街は壊滅してしまったのです。


 では、100万キロワットという今日標準となった原子力発電所が、一年間動くためにどれだけのウランを燃やすかというと、これだけです。1tです。広島の原爆が撒き散らした死の灰と比べると、ゆうに1000倍を超えるような死の灰を生み出しながら、電力を起こしている。そういう道具が原子力発電所というものです。


 これ、ぱっと見て、皆さんは、どこだと思うでしょうか。最近みなさんはテレビで福島の映像をよく見られているだろうし、新聞でもこんな写真がよく流れてきますが、実はこれは福島ではありません。これは実は、まだソ連という国があったときに、そこで事故を起こした、チェルノブイリ原子力発電所の写真です。福島の原子力発電所がそうであったように、建物がぼろぼろに吹き飛んでしまって、中からもうもうと白煙が出ていますが、ここから死の灰吹き出してきた、その時の写真です。

 どこにあったかというと、これは世界地図、ここに地中海があって、黒海という海がある。この黒海にむけて、ドニエプル川という巨大な川が流れている。これがドニエプル川の流れですが、それをずっともっと大きく見てみますと、ここにまあかなり大きな湖があって、ここに実はキエフという、巨大な街がここにあるのですが、そのもう少し上に、このっちいちゃな、といってもかなり大きいんですが、湖がある。ここに何があるか。だんだん形が見えてきたと思います。


 これが、チェルノブイリ原子力発電所。1、2、3、4、4つの原子力発電所が並んでいます。そして、壊れてしまったのは、この、一番左にある4号炉というものですが、事故当時はこんなふうに壊れました。ちょうど福島の、今の写真とよく似てますけれども、建物は外壁が落ちて、ボロボロになっているという状況です。


 ここで1986年の4月の26日に、突如として事故が起こりました。事故が起こるまでは、モスクワの赤の広場に建てたって安全なほど安全なものだと言われて、みんな安全だと思っていました。周辺の人も、まさかこんなものが、事故になって、放射能を撒き散らすなんてことを思いもしないまま、生きてきました。ところが、その日の朝、爆発して、こんなことになってしまいました。


 結局大量の放射能が出てきまして、それを何とか収めなければいけない、これ以上たくさんの放射能が出ないようにしなければいけない、ということで、発電所の所員と消防士とが、格闘をしました。たくさんの人がその格闘の中で被曝をしていったのです。ここに顔写真があるのは、そうした格闘の中で死んで言った人たちです。結局、さっきのぼろぼろになっていたのがこの建物なんですけども、この建物を全部覆うような、石棺と私たちが呼んでいる、石の柩ですけれども、で原子炉を覆うことによって、何とか、今日まで、大量の放射能を、さらに漏れるのを防ぐということになってきました。


 しかし、この石棺も、もうすでに25年たって、あちこちに損傷が生じてきて、またこの外側に大きな石棺で覆わなければならないという、そういうことになっています。


 これは、今見ていただいた人たちのお墓です。モスクワの近くにあるものなんです。こういうふうに埋めるときにも、彼らの体が放射能で汚れていますので、鉛の柩にいれなければならないというような状態で、墓を隔離して作ったわけです。


 はじめの事故で、大量の放射能が撒き散らされ、でも何とかそれを表にでないようにしなければならないということで、退役軍人や、軍人も含めて駆り出されまして、このような姿、これ、何をしているかわかっていただけますかね、何をしているかといいますと、鉛のスーツを着てるんです。鉛といえばすごく重たいわけで、こんなもののを着たらと動きがとれなくなってしまうのですけれど、それでも被曝を少しでも減らすためにはこういうスーツを着ないと仕事ができない。というなかで今から仕事に行こうとしている。こんなふうにして鉛のスーツをきたまま、壊れた建屋の屋上に行きまして、放射能がそれ以上飛び散るのを防ぐというような作業をしたわけです。


 たぶん今、福島の原子力発電所の敷地の中でも、同じような作業をして、たくさんの人たちが被曝をしながら事故を何とかおさめようとしている状態だと私は思います。その必死の作業というのが何とか実を結んでほしいと私は願います。これはヘリコプターですけれど、ここに発電所があるんですが、ヘリコプターはそういうところに真っ赤に焼けちゃった松なんですが、こういうところに大量の放射能を巻散らかされているわけですが、風であちこち飛んでいってしまっては困る、ということで、ヘリコプターから、飛び散らないような薬剤をまくという作業をしている、こういうことをやることで、ヘリコプター、また乗務員も放射能で汚れていくということになるわけです。


 あとで地図もお見せいたしますけれど、チェルノブイリ原子力発電所というのは、ウクライナ共和国というところにありました。ソ連の国内。ウクライナというのは、ソ連きっての穀倉地帯、ソ連国内の40%もの穀物を供給するというほど豊かな大地でした。でその大地が、一面放射能で汚れてしまいまして、こんな姿で、放射能の汚染がどれだけあるか、ということを確認しながら、人々をそこに住んでいいかという調査をしているわけです。


 結局、事故が起きて、たくさんの放射能が出てきた。当初ソ連の政府は、その事故がなかったことにしようと思いました。隠しとおそう、思ったのですが、とてつもない事故だったがために、これは隠せないということになって、住民を避難させることにしました。今、福島では20キロ圏内の人が避難をしろと言われて、自分の家を追われて、避難所というところにいるわけです。すでに9日がたって、たいへん避難させられている人は疲れていると思いますけれども、チェルノブイリの事故でもそうでした。周辺30キロメートルの13万5000人という人達が、こういう姿でバスに乗りました。

 でそのときにソ連の政府が言ったのは、こういうことでした。チェルノブイリ原子力発電所で、ちょっとしたトラブルが起きた。だから3日分の手荷物を持って迎えのバスに乗りなさい、と言われたのです。3日分、でまあみんななんか、手荷物を持ってバスに乗った。自分の家を離れたわけです。


 これはあの、先程の湖があって、ここに原子力発電所がありました。これですね。この下のところに、私は赤いマーキングをしました。十何キロか離れたところです。ここに何があるかというと、ちょっと大きくしてみます。これです。まだわからないですね。もう少し大きくします。わかりますかこれ。ここに何か一群の、花びらのようなものがあります。ここに縦にずっと並んでいるのは、これは、横から見るとこんなものです。


 これは、ヘリコプター。さっき見ていただいたヘリコプター、原子力発電所に飛んでいって、汚染が広がらないように作業をしたヘリコプターが、こんなような姿で、残骸になっておいてある。こういうところには軍用車両がずらーっと並んでいる。放射能の汚染を何とかくい止めようとして活動した、ヘリコプター、あるいは車というものが、すべて、放射能まみれになってしまって使えないということで、墓場になっている。荒野の中に、区画を作って、そこに全部置き去りにするしかない、ということです。この近くには、人の住んでいた家だってあったんですが、それももう朽ち果てている。そういう状態になっています。
(以下続く)