村崎太郎・栗原美和子「橋はかかる」


橋はかかる

橋はかかる


 同僚が推薦してくれた。「日本の論点2011」にも、差別問題のページに著者の文章が掲載されていたので、関心を持って読む。


 村崎太郎は、反省ポーズをする次郎との共演で有名な猿回し芸人。栗原美和子は、テレビプロデューサーでその妻。本書の内容は、被差別部落出身の村崎の半生。とくに、栗原との結婚時に直面した結婚差別や、部落出身であることをカミングアウトしたときの周囲の反応を中心に構成されている。前半のエピソードも具体的で、興味深い話が多かった。


 とくに、曾祖父梅二郎と父義正のエピソードが印象的だ。部落差別が延々と続いてきた歴史を実感させられる。オイラも自分と部落差別のかかわりを意識した。小さな頃に見た改良前の被差別部落の住宅。海風にさらされるトタン屋根の掘建小屋のような家々。経済的にも劣悪な状況におかれていて、差別がむきだしのままそこにあった。昔はそうだった。


部落差別は隠された 


 現代、差別は解消されたと人はいう。だが違う。本書で描かれているように、結婚のときになると、隠れていた差別意識が顔を出す。


 『「学校と人」「会社と人」の関係性は、行政が手を入れることによって整理することができた。しかし、「家と家」の問題にまでは行政は手出しできない。「家と家」それはつまり「人の心と人の心」の問題だ。「わが家にあの家の血が混じるのは穢らわしい」「あの家と同じだと思われたくない」「あの家と親族になったら、自分たちも後指を指される」そういう、日本人の心の奥底に根付いている観念が消え失せない限り、部落差別は居丈高に居座り続ける』


差別は残っている、だからこそ


 2005年の大阪市の意識調査によると、「同和地区の人たちは、結婚する際に反対されることがあると思いますか」という質問で、「反対されることはない」と答えた人の割合は、わずか3.8%。「反対される」と答えた人に「近い将来、(結婚差別を)なくすことができると思いますか」と尋ねたところ、「難しい」と答えた割合は45.0%。結婚に際し、現代でも差別が残存することは、数値を見れば一目瞭然だ。


 また、村崎太郎は、2008年に被差別部落出身であることをカミングアウトする。その後のマスコミの対応も差別的である。あらゆるマスメディアが、掲載や報道を拒否した。徹底的な無視。依頼されていた仕事はキャンセルされ、夫婦は世間で孤立することになる。


 この国では、多くの人びとが、何が正しいか考えることもなく、正しいことをなすこともなく、長いものに巻かれて生きる。組織に問題があっても、それは自分の問題ではなく、誰かが解決する問題であり、火の粉がかからないような卑怯な生き方をすることが、賢い生き方とされている。


 「いつのまにか日本人は、自己主張を持たず、マスメディアからの一方通行の情報に洗脳される薄志弱行な国民に作り上げられてしまった。・・・・差別が横臥している世の中に対して不感症になってしまった人間たちこそが、完成度の低い民主主義が生んだ不幸な存在なのではないだろうか。「自分たちの手で自由と生きる権利を勝ち取ろう」「自分たちが世の中を変えていこう」と立ち上がってこそ、真の民主主義国家の国民のはずなのに(日本の論点2011)」
 それは、この国のあらゆる場面に見られる態度である。
 

 しかし、わかりあえる人はきっといる。連帯できる同志がいれば、苦しい思いを乗り越えられる。村崎太郎の場合は栗原美和子だった。そして楽天的で前向きな気持ちの持ち方こそが、道を切り拓いていくのだとオイラは信じる。

 

東陽一作品 DVD-BOX 1

東陽一作品 DVD-BOX 1

 
 DVD所収一作目は「橋のない川」。「橋はかかる」のタイトルは、もちろん、この作品と対応している。住井すゑの名作を映画化。明治・大正期の被差別部落を舞台に、差別と戦い懸命に生きる人々の姿を描く。全国水平社結成までの歴史的過程も印象的。もう一度見たい。