自転車通勤をしながらいろいろ考えた。その2。


 (つづき)近年は自転車趣味も社会に浸透しているせいか、10年前くらいと比べると、車から不当な圧力をかけられることも少なくなった。以前は自転車で普通に走行していても、「車道に出てくるな」と言わんばかりに、クラクションを鳴らされるということは日常茶飯事だった。今は大部分のドライバーが紳士的である。

 
 これも9月28日に書いた疋田智氏のように、自転車の論理を社会に浸透させてきた先達の努力の賜物なのだろうと思う。社会を良い方向に変えていくために個々人が努力する、そうした姿勢が良い社会を作る。まあ当たり前のことですね。その点自転車に乗る方は志の高い発言者が多い。これは幸せなことである。


 だが、教育分野では、そういう取り組みは目立たない。官僚的組織の中にあって、現状を維持していくことに意識はあっても、改善していくことに意識を向け、外向きに何らかのアクションを起こしている人は少ない。だから教育の論理は社会の論理に負ける。世間のダメな部分に対しても迎合的で、その結果戦後一貫して、教育はずるずると後退してきた。マスコミにバッシングされるときの教育の打たれ弱さといったら! 要するにナメラレているのである。