春山満氏講演会「僕に出来ないこと。僕にしか出来ないこと。−気力で生き抜く逆転の発想−」


 11/1、ずっと準備し、力を入れてきたプロジェクトが終わった。


 オイラの勤務校に、車椅子の名物社長、ハンディネットワーク・インターナショナルの春山満氏をお呼びして、高校生にその熱いメッセージを聞かせることで、高校生を元気にしようという企画である。


 春山満氏にオイラが注目したのは、毎日放送ラジオの「春山満の 若者よ、だまされるな!」(毎週日曜9:15〜9:30)。何回か聞くうちに、逆境をチャンスととらえ、常識や社会を変えてきた春山氏の前向きな語りに、オイラはすっかり魅了されファンになった。


 7月31日放送分、バリアフリー対応の自動販売機を提案・開発したエピソードは、とても印象に残った。取り出し口が高い位置にあり、コインをバラッと流し入れるタイプの自動販売機は、春山氏が、ポカリスエットなどで有名な大塚製薬と提携して開発したもの。車椅子対応の自動販売機は、車椅子を利用している人だけのものではない。ミニスカートや妊婦さん、子供を連れている人々など、健康な生活を送っている人々にとっても使いやすい。それは、導入先にもイメージアップになる。


 春山氏は、この自動販売機に「バリアフリー・ベンダーマシン」という名前をつけた。当時はまだ日本で使われていなかった「バリアフリー」という概念を日本に持ち込み、定着させていったきっかけを作ったのは、春山満氏である。

 オイラは直感した。これは高校生に聞かせるべきだ。常識を疑い、今までの非常識を新しい常識に変えてきた人が、ここにいる。ハンディこそチャンス、我々は社会を変えられるんだ、そうした実感を与えてくれる、春山満氏のような人こそが、高校生を元気にするに違いない。そう思ってオイラは春山満氏にダメもとでメールをした。ぜひ本校でご講演をお願いします。世の中を自分たちの力で変えていけるすばらしさを、そしてビジネスの最前線の話を高校生に聞かせて下さい。何とその熱意に春山氏が耳を傾けてくれ、11月1日の講演が決定したのである。


 なれば、高校生の心に残るイベントに仕上げなければならぬ。ここが踏ん張りどころ。集会の事前の周知には特に気を遣った。8月以来、職員会議などを通じての職員に対する啓発を何回も行なった。生徒に対しては、校内新聞による告知、廊下には掲示物を社会問題研究会のメンバーに自作してもらい掲示した。授業の中でも事あるたびに「春山満氏」のことを触れてまわった。春山氏のスタッフとの事前打ち合わせも入念に行なった。


 そして当日。全校生徒、教職員、保護者でいっぱいの体育館。紹介ヴィデオを流したあと、車椅子に乗った春山氏が颯爽と登場した。演劇部が作った特設のひな壇。そこに上り、春山氏は流れる水のように話し始めた。常識を疑え。試行錯誤せよ。なくしたものを見つめるな。残されたものを120%活用せよ。


 生徒はしっかり見ている。多くの生徒が引き込まれている。ああ、これは大丈夫だ、オイラはそう確信した。


 1時間の講演は、あっという間に終わった。そのあとは質疑応答。春山氏は「時間をしっかりとりましょう」ということで、15分の質疑応答の時間を取った。だが事前には15分もの質疑応答の時間を取ることを不安視する声もあった。司会は信頼のおける教員に任せてある。春山氏も「もし手があがらなかったとしても、話をつなぎます」とおっしゃってくれていた。しかし、デリケートで自意識の強い高校生たちが、手をあげるだろうか。春山氏は高校での講演の経験は少ないはずだ。もし手が上がらなかったらどうしよう、オイラもそういう教員側の気持ちが分からないわけではなかった。


 しかし、つまらない杞憂など、春山満氏と高校生は軽く吹き飛ばしてくれた。手があがった。次々とあがった。それは15分の間切れ目なく続いた。高校生の目が輝いていた。生徒を信用してよかった。


 印象深い質問があった。一番最後に質問した1年の男子生徒が言った。「人を信用できるようになるには、どうしたらいいですか?」それまでよどみなく話し続けていた春山満氏の声が、はじめて詰まった。「これは難しい質問です。・・・・これは難しい・・・・」数秒の沈黙。このとき、オイラは、春山氏は真剣に1000名の高校生と向かい合い、その悩みに真剣に考えていることが分かった。講演が終了したあと、春山氏の額に浮かんだ多量の汗を見た。その姿にオイラの目頭は熱くなった。


 「高校生にストレートにメッセージを伝えるのは、とても難しい」講演が終わったあと、帰り際に春山満氏は言った。オイラには意外な述懐だった。あれだけ軽々と高校生を引きつけているように見えたのに。そしてこうつけ加えた。「とても不安定でゆらぎの大きい年頃ですから」


 春山氏は理解していたのだ。高校生の葛藤も不安もデリケートさも。まだ何者でもない茫漠たる不安と自意識の狭間で揺れる存在であることも。そして春山氏も揺れる存在、葛藤する存在だったのだ。教壇に立ったことはなくても、あの瞬間、春山氏は、まぎれもなく「最良の教師」だったとオイラは思う。


 来てもらってよかった。本当にありがとうございました。