「魔法少女まどか☆マギカ 公式ガイドブック」芳文社



 魔女になるということは、大人になるということか、などと考えながら、高校生から借りた「魔法少女まどか☆マギカ」の公式ガイドブックをぱらぱらと読む。Aくん、ありがとう。


 アニメは欲望に応えてくれる。世界の隅々まで作り手によってコントロールされている。登場人物たちは、皆可愛く無垢である。同性の疑似恋愛に勤しんでいる。ミニスカートでフリルのついた戦闘服。それは、ある種の嗜好のある人たちの「萌え」を刺激する。あからさまだ。


 主人公まどかは、特別な存在である。魔法少女としての優れた資質を持っている。周囲はそれに気づいているが、自信のない当の本人は、そのことに気づいていない。もし自分に超能力があったら? もし自分が特別な存在だったら? 「まどか☆マギカ」は、そうした子供時代にあった自己中心的な妄想を満たしてくれる。


 アニメがこれほど欲望を刺激し充足するメディアになったのも、現代の社会が個々人の欲望を、あからさまに肯定するようになったからだろう。1970年代までなら、メディアの幼稚な欲望刺激に単純にひっかかるヤツは、単にアホでしかなかった。今なら個人の嗜好に対し、社会的な「冷たい目」が向けられることは減っている。ハードルは下がっている。


 資本主義社会では、利益追求は常に正当化される。お金を落としてくれるなら、オタクでも何でもありという開き直りがある。現にオイラの住む市は、町おこしの一環として、市をあげてアニメのイベントにいそしんでいるほどだ。そこはオトナになることを促されない世界である。


 魔女になることが、大人になることの隠喩なら、オタクと呼ばれる人たちにとって、オトナになることは逆にハードルの高いものとなっているのだ、というメッセージをオイラは、このアニメから勝手に受け取った。欲望が肯定されればされるほど、そしてその欲望が幼児的なものであればあるほど、そこから抜け出すことは容易ではない。代償は、金銭だけではない。