週刊東洋経済2012年2月11日号「ミスターWHOの少数異見−今こそ、地産地消のすすめ「選択の自由の落とし穴」


週刊 東洋経済 2012年 2/11号 [雑誌]

週刊 東洋経済 2012年 2/11号 [雑誌]

 ・・・・・・大震災以降、東北地方の「地産地消」に協力しようという動きが広まっている。消費を振り向けることが被災者を助ける、という発想だ。これを延長させると、自分の消費が誰かの生活を助けるといイマジネーションが膨らみ、もっと多くの人々の消費行動を買えることになるかもしれない。企業の社会的責任(CSR)にも通じる運動だ。


 しかし、ここに常識の壁がある。消費者は「選択の自由」を与えられている。買い物は匿名の消費者の選択に任せ、介入すべきでない、という常識だ。とりわけ地域内に需要を囲い込むことは「地域間の公益を阻害する忌まわしき行為」と経済学者は言う。


 だが、「選択の自由」をバックにした交易モデルは地域の多様性を破壊してきた。東京近郊の駅前はどこもマクドナルドとスターバックスばかり。独自性を失った街は消費地として何の魅力もない。


 地域の競争力はどうすれば実現できるのか。B級グルメのブームは、地元人の嗜好によって支持された食品を、観光客が少しだけお裾分けさせておらうことから始まった。地域がもっと地元の独自性を主張し、商店街が多様性に目覚めて、消費者を「選択の自由」の落とし穴から引き上げる−まずは、地元が一歩踏み出すことだ。


 地産地消は、主に農業側からのアピールであり「消費者は受け身」と捉えられがち(現に農林水産省が旗振りをしているし)。だが、地産地消には、消費者を自覚的にさせる力があると思う。
 顔の見える距離で作られた農作物は安心と親密感を与える。地域に対する関心、国内農業に対する関心への第一歩にもなる。ひいては、地域の農業を活性化させ、それが食料自給率を高めることになる。


 20世紀初頭、イギリスの植民地下、スワデーシーという運動があった。「国産品愛用」と訳される。イギリスの綿製品は使わない、ということである。ガンディーも糸車で糸を紡いでみせた。イギリス製シャツを焼いてみせた。安価なイギリス製品が、インド支配の装置として機能していることに気づいていたのだ。これは民族主義運動でもあったのだ。


 多くの事柄はつながっている。目の前の「食」に対する選択の議論は、たとえばTPPの議論とつながっている。食を考えることは、日本のあり方を考えること、将来を考えることだ。目先の価格だけでなく、何を食べるのか、自覚的に選んでいきたい。