増田俊也「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」新潮社


木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか


 読み終わった。700ページ2段組の堂々たる大部。長さはまったく苦にならなかった。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と言われた、日本柔道史上最強の男、木村政彦の一生を追ったノンフィクション。綿密な取材に基づき、木村の人となりや試合を、臨場感あふれる筆致で詳細に書き上げている。木村政彦と戦前戦後の柔道(柔術)についての知識がほとんどないオイラにとって、刺激的で、比類なき面白さ、と言っても過言ではない。



スケールの大きさに心うたれた


 とくに、あきれかえるほど桁外れの強さのエピソードと、人間味あふれるエピソードに、木村政彦という人間のスケールの大きさと偉大さをまざまざと実感させられた。彼はとてつもなく強かった。15年不敗、13年連続日本一、天覧試合制覇、グレイシー柔術に勝利。そして人間的にも魅力的だった。そうした木村の素晴らしさが、そして木村に対する筆者の愛情が、ひしひしと伝わってきた。


 ことにオイラが好きなエピソードは、1951年、ブラジルに渡り、ブラジリアン柔術の総帥エリオ・グレイシーバーリトゥードを戦ったときのこと。殺すか殺されるか、なんでもありのルールの試合を前に、対戦相手のエリオのところを訪ねていって、木村はこう言った。
 「試合はどちらが強いかだけをはっきりさせればいいと思うんだがどうだろう。必要以上に傷つけあうことはないだろう? 夜、ベッドの中に入るとき、私は人の腕が折れる音を思い出したくないんだ。結果はやってみなくてはわからない。でも、私の技が完全にかかったら、そのときはタップしてくれ」


 これから戦おうという対戦相手に、そんなことを普通言えるだろうか。傲慢だと相手に取られても仕方がない。だが木村の態度からはそんな雰囲気は微塵も感じられなかったと言う。絶対的な強さと相手のことを思いやる気持ちを持ちえていなければ、発することのできない言葉ではないだろうか。結局翌日の試合では、最後までタップをしないエリオの腕を木村は折ってしまうのだが、試合後お互いの健闘をたたえあう。木村の死後、バーリトゥードの興隆とともに、グレイシー一族の名前が有名になったとき、グレイシー一族は「最も尊敬する格闘家」として木村政彦の名前をあげたのだった。



 昔の人間は本当にスケールが大きい。中でも木村は特別だった。それが本書を読むとよく分かる。木村にとことん惚れこみ、世間の「力道山に敗れた男」という認識を覆そうと、全力をかけて本書を書き上げた、増田俊也の執念と葛藤が、行間から伝わってくる。とても人間らしい名作である。筆者のブログはこちら(「増田俊也の憂鬱なジャンクテクスト/公式ブログ」)。本書のことを書いているので、関心のある方はぜひご一読を。



 上の写真は、本書の546ページに掲載されている、力道山木村政彦戦の「たった一台の街頭テレビに群がる人々」の様子。もう本当にすごい、としか言いようがない。