藤原和博「はじめて哲学する本」ディスカバー・トゥエンティワン


はじめて哲学する本

はじめて哲学する本


 昔は、若者は苦悩するものと相場が決まっていた。しかし、現代を生きる高校生が「哲学する機会」は少なくなった。
 理由はいくつかある。まず高校生が本を読まなくなった。義務教育では2002年度から実施された指導要領の改正によって、国語的能力他が低下した。ボキャブラリーが失われた。高度な概念的思考をする素地が失われた。教養も低下した。
 また、高校の科目履修の問題もある。「倫理」を選択する生徒数は昔から多くはないが、多くの学校が週5日制になったおかげで、ますますカリキュラムが窮屈になった。オイラの前の勤務校では、当時は倫理を選択すること自体ができなかったため、倫理をやりたい生徒のために、オイラは特別に時間外で倫理の授業をしなければならなかった。


 本書は、中高生の哲学的思考の足がかりである。「お葬式では、なぜみんな黒い服を着ているの?」「どうして結婚したの?」「家族旅行は行かなきゃならないの?」といった質問を元に「人はなぜ生きるのか」ということを、中高生でも分かる平易な言葉で綴っている。筆者の藤原和博氏は、リクルート出身で、2003年より5年間、義務教育では都内で初の民間人校長として杉並区立和田中学校に勤務し、補習の充実や習熟度別授業、少人数授業の導入、よのなか科の実施などを行ない、全国的な注目を集めた人物。「人はなぜ生きるのか」ということについて、中高生でも分かる平易な言葉で、哲学的に人生を考える「構え」を説いている。とてもわかりやすい。中高生に話すときの手本になると思う。


 オイラも、勤務校の高校生に読ませたいと思い、内容を一部引用要約して、校内の新聞に掲載し紹介してみた。
 以下、高校生に示した本書の内容の紹介である。

 
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 お葬式に出たことがありますか? 
 お葬式のときは、黒っぽい服(喪服)を着るのが常識。高校生のキミなら、制服を着るのが一般的だ。
 でも、これが常識になったのは、実は明治の頃からだ。明治30年、皇室の葬儀の際、外国から来た国賓の目を気にして、黒に統一されたのがきっかけだ。
 それ以前はどうしていたかというと、死者と同様、みんな白い衣装を着ていたそうだ。
 庶民が黒の服を着るようになったのは、もっともっと遅くて、太平洋戦争の頃からだ。戦争で死ぬ人が多くなって、汚れやすい白よりも、汚れが目立たない黒服が広まったと言われている。


 常識として日常当たり前のようにされていることも、じつは、いろいろな裏事情があって、そうなっていることがわかる。「常識」だとされていることをあらためて調べたり考えたりすると、ふだんは気づかない人間や社会のいろいろな面が見えてくる。


 死について考えることは、実は前向きなことだ。34歳で亡くなった奥山貴宏さんは、余命2年と宣告されて、考え方が変わったと言う。彼は死ぬ前にこう言った。『一日一日がとつぜん大事に思えてくるのね。愛しいっていうか。たとえば、ちょっとヘンなんだけれど、毎日食ってる吉野家の牛丼でさえ、ああ、あと何日、この味にありつけるのかなって』


 「人生は一回だけだ。限られた時間しかない。そのことを意識すると、出会う人、起こること、めぐりあう体験のすべてが、本当に愛しく思えてくる。


 キミの高校時代は、かけがえのない一回きりの瞬間だ。70億をこえる人たちのなかから、今周りにいる人たちに出会えたことは、奇跡のようなことなのだ。おじいちゃんや、おばあちゃんや、お父さんや、お母さんや、兄弟姉妹や、先生や、友達や、そして同じ地域に住む人たちに出会えた奇跡を、感謝しよう。それが「一期一会」ということだ。」


 人生の豊かさは、その長短や経済的豊かさだけで測るものではない。死を想い、生きる意味を問い、他者を意識し、愛しく思うこと。そうしたことを大切にして、人生を濃密に生きる「構え」を、高校生にも身につけてもらいたいと強く思う。