東直己「バーにかかってきた電話」ハヤカワ文庫JA


バーにかかってきた電話 (ハヤカワ文庫JA)

バーにかかってきた電話 (ハヤカワ文庫JA)


(ネタバレあります)
 先に映画を見てから読んだ。同じススキノ探偵シリーズに「探偵はバーにいる」というタイトルの作品もあるが、こちらは映画「探偵はBARにいる」とは関係がない。ややこしい。


 タイトル通り、電話がかかってくる場面から始まる。謎の女の声が聞こえるのは3行目。「私、コンドウキョウコですけど」。このセリフで、コンドウキョウコとは誰かという「謎」にストレートに読者を導く。


 ハードボイルド小説では定番の、一人称の語り口もうまく機能する。探偵の「俺」が全貌を認識する順に、読者も事件の全容を理解できるように書かれているため、複雑な事件も無理なく理解できる。映画だとこうはいかない。「霧島敏夫(西田敏行)」や「沙織(小雪)」のドラマにもスポットを当てようと作り手が考えたせいか、探偵の描写に加えて霧島の殺害シーンを冒頭にもって来たため、映画の冒頭は、かなり錯綜した感じになった。


 映画では、結婚式の披露宴会場で結婚相手の大阪ヤクザの息子を沙織が殺害する場面がクライマックスとして用意されていて、悲劇的で美しい、記憶に残る「見せ場」になっている。だが、小説では「俺」は、伝聞として記者から事件の概要を知らされるのみ。一人称で通した「小説」と、見せ場を用意して視覚的にもりあげようと考えた「映画」の違いを実感した。


 ミステリとしては、事件の全貌が明らかになっていくプロセスこそが重要。しかし映画にとっては、複雑なストーリーは、ごちゃごちゃした印象になるのでシンプルにしたい。こうしたジレンマをどう処理するかが、ミステリの映画化のポイントになる気がした。


 単行本化は1993年1月、文庫化は1996年1月なので、現在では当たり前になった携帯やコンビニは出てこない(どうやら小説の時代設定は、映画とは違って1980年代初頭らしい)。軽妙な語り口も印象に残る。読ませる作品です。