磯部涼編著「踊ってはいけない国、日本 風営法問題と過剰規制される社会」河出書房新社


踊ってはいけない国、日本 ---風営法問題と過剰規制される社会

踊ってはいけない国、日本 ---風営法問題と過剰規制される社会


 2010年12月に始まった大阪・アメリカ村風営法違反によるクラブ一斉摘発を考える本。宮台真司モーリー・ロバートソン、Taku(m−flo)、松沢呉一佐々木中津田大介など、十数名の書き手による、クラブ文化を守るための議論をまとめた書。文化論から法律論まで、クラブ摘発問題を考えるきっかけとなる事柄が広くまとめられており、問題を理解するには役に立つ一冊。


 この国では、深夜のダンスは法律違反である。クラブは風営法の第3号営業にあたり、ライセンスの取得を義務づけられ、営業時間は0時もしくは午前1時までに制限されている。つまり、日本には深夜のダンス・フロアは存在してはならないということになっており、多くの店舗は、ダンスをさせているのではなく、音楽を聞かせているのだと言う理屈の下、興行場法や飲食店営業の許可を得る等の工夫をこらしつつ、風営法に関しては無許可で営業を続けてきた、とこのくだりは本書から知った。


 松沢呉一によると、今の警察の上層部は、景気が悪くなっても、グレーゾーンがなくなる社会の方がいいのだと本気で考えているフシがある。2000年頃から、違法風俗店、偽装ラブホ、ストリップ劇場、ハプニングバー等、風営法のグレーゾーンの営業を続けてきた業種が警察の摘発を受けてきた。現在摘発を受けているのは、00年代後半から流行しはじめたガールズ・バーやガールズ居酒屋、サルサ・クラブやゲイ・バーなどであり、広範囲にわたっての摘発が強化される傾向が強まっている。問題は、クラブのような、犯罪との因果関係にない場所が、グレーゾーンゆえに、摘発を受けるようになってきたことだ。


 その背景には、クレージー・クレーマーの存在があると宮台真司はいう。クレージー・クレーマーとは、何かというと自分で文句を言わずに行政や警察を呼び出す「行政過剰依存」の住民のこと。地域共同体の空洞化によって、クレージー・クレーマーは暴発する。監視カメラだらけの街も、違法ダウンロードの処罰化も、そんな中から生まれてきた。「何もかも取り締まれ」と合唱するから取り締まり対象が未規定になり、線引きを警察OBの判断に頼らざるを得なくなって、警察の天下りが増える。


 磯部涼は言う。「風営法と同様、取り締まる側が恣意的に運用できる法や条例が次々に作られていこうとしている。表現の自由を曖昧な法によって規制しようとしたいわゆる非実在青少年問題、最近では違法ダウンロードを刑罰化する法制定−そして、今回のクラブ摘発、あるいはレバ刺し違法化まで、これらのさまざまな問題はひと続きのものである(4ページ)」


 問題はクラブ摘発だけではない。本書では、もっと広く、窮屈でがんじがらめの社会ができあがりつつある現状と、それを改善していくための手がかりまで視野にいれ、広く日本社会の問題に切り込んでいる。志の高い書であり、クラブ摘発にあまり関心のない人にも読んでもらいたい一冊であるとオイラは思った。


 関連エントリ 佐々木中「「踊れ我々の夜を、そして世界に朝を迎えよ」(本書所収)http://d.hatena.ne.jp/furuta01/20121017/1350486063