「またあしたっ」結果報告「モリチャンのこと」


 25日に結果発表。奨励賞だった。驚いた。これは参加賞にあたる賞である。オイラは何も言わなかったが、作品的には上位入賞校に決してひけをとっているわけではないことを生徒たちはちゃんと分かっていて、部長のモリチャンは「頑張ったのはどこの学校も一緒なんでしょうけど、私のしてきたことを認めてもらえなかった気がして、すごくすごく悔しいです」とメールに書いた。


 平田オリザの「幕が上がる」なら、勝つことを目標にして「あっさりと、予想通り」県大会、ブロック大会、そして全国大会だ。だが、現実は違う。優れた成果を出しても、認められないこともある。「審査員運」のいい学校も確かにあるが、そんなことを羨ましく思っても仕方がない。つくづくこの世は理不尽だ。


 部長のモリチャンのことを書く。彼女は、1年半の演劇部での活動のほとんどを「またあしたっ」に費やしてきた。一年前、たったひとりで再スタートを切った。県大会後、一緒にやってきたふたりの部員が辞めたのだ。思えばふたつ上の先輩であるチヒロのときもひとりだった。しかしこの時はまだ先輩がいて助けてくれた。モリチャンは正真正銘ひとり。それでも高知までひとり四国大会を見に行った。春の新入生歓迎公演では、助っ人を集めてきて3人芝居をやった。非常に真面目な彼女は、ひとりであることを受け入れて、決してくさらず、前向きに淡々と活動に取り組んだ。


 春に1年生が3人、2年が2人入部した。8月の夏公演の「またあしたっ」では演出に回り、出演しないはずだった。ところがキャスティングのミスマッチがたたり、結局公演10日前にキャストチェンジ、急遽主役をやらざるをえなくなった。昨年の県大会で演じたのとは違う役だった。本人はピアノコンクールを直前に控えていたため、実質3日間しか稽古の日はなかった。


 追い込まれると、人は思ってもみなかったような力を発揮する。抑圧されていた感情が解放され、生き生きとして、別人のような役者が舞台の上に現れた。モリチャンは変わった。観客の後押しもあった。「演じることが楽しい」と彼女は言った。それまでの彼女は受動的で、リーダーシップも控えめ、人より目立ったりするタイプではなかった。一年の頃から、受けは抜群にうまかったが、受けだけでなく、自分から何かを表現しようとして模索する姿勢がはっきりしてきた。


 県大会に至る道は険しかった。部員が一人辞め、一人休部した。5人の役のうち、3人がかわった。台本の改稿で、要求水準は各段にあがり、稽古は遅れた。初めての通しは4日前。またまた追い込まれた。だがオイラは分かっていた。彼女は追い込まれると力を出すタイプなのだ。本番前の稽古で、彼女の感情解放を阻害していたセリフ回しの癖を指摘した。彼女は理解した。そして応用した。


 本番は、がらりと変わった。そこには稽古場で凡庸な表現を積み重ねていた姿はなかった。テンションと集中を持続させながら、難易度の高いセリフと仕草を確実に決めていく。ひとつひとつの表現に強烈な破壊力があるわけではないのだが、細かいジャブを積み重ねていくかのような、変化のついたセリフと仕草の連続を、高いレベルで持続していくことができる。ボケとツッコミ、受けと攻めが変幻自在。彼女は流れを作る。だから他の役者も、モリちゃんからよい影響を受けることができるのだ。今回の「またあしたっ」は、役者を信じ、役者に要求し、役者が応える、そんな姿を正攻法で見せる芝居だったとオイラは思う。


 そんなモリチャンのロールモデルは、2つ先輩のチヒロ。チヒロの学年もたったひとり。だが弱音をはかずに常に前向きに演劇と取り組み、演劇部を切り盛りしてきた。「チヒロ先輩のようになりたい」とモリチャンは言った。真摯な先輩の姿を手本にして、今の演劇部を作ってきたのである。そして、モリチャンの後ろ姿を見て、これから後輩たちは成長していくことだろう。


 モリチャンのやってきたことは、もちろん意味のあることだ。そのことを、審査員が認めないなら、オイラが代わりに認めよう。そのためにオイラは、あえてこの文章を書いた。城北高演劇部内だけでなく、観た人ひとりひとりの心に、化学変化をもたらすような芝居だった。2012年の徳島県大会の、城北高の芝居が意義深い上演だったことを、オイラは決して忘れない。