週刊エコノミスト2012年11月20日号「ロングイタビュー浜矩子「戦後欧州史とユーロ危機の本質−通貨統合でドイツを封じ込めようとしたことに誤りがあった」」



 同志社大学ビジネススクール教授でありエコノミストである浜矩子の記事が目にとまったのは、オイラが高校で地理を教えているからだ。教えているといっても、単一通貨ユーロについては、恥ずかしながら教科書や資料集の内容を表面的になぞっているに過ぎない。「なぞっているに過ぎない」ことに気づいたのは、この記事の、ここの部分を読んだからだった。以下引用である。


 (単一通貨ユーロの導入のメリットとデメリットを比較して)


 ・・・・目先の日常的なことでは、そこそこ利益があったかもしれないし、なかったかもしれないが、どの程度の利益かということは明確な答えは出せない。
 しかし、現在の状況を見れば、不利益は極めて大きいことは間違いない。ギリシャもスペインも、ユーロ圏にとどまろうとするがゆえに、経済成長率がマイナスとなり、失業率も高まっている。一方で、ドイツはこれらを支えるために、財政負担を迫られ、国民の怒りを買っている。支える側も支えられる側も、不幸になっているのだ。


 ユーロを導入して「メリットは目先のこと。デメリットは極めて大きかった」浜矩子はそう言っているのだ。最近のユーロ危機から考えれば、これはもちろん突飛な意見でも何でもない。一般にデフォルトに陥った国家は、一時的には国際的な信用や競争力を失っても、通貨安政策を取ることで輸出競争力を獲得できるから、混乱期を脱したあとは、経済の立て直しをはかることができる。かつてのロシアやアルゼンチンがそうだった。しかし、キリシャやスペインなどは、ユーロ導入のおかげでその国独自の金融政策を取ることができない。ユーロから離脱すればそれは可能だが、デフォルトすればユーロの信用に応じてギリシャなどに融資をおこなってきた銀行が打撃を受けるので、EU首脳部は離脱を促すことができない。強い国(ドイツ)は、国民の反対があっても経済的支援を続けている。ユーロが導入されているゆえに、ユーロ危機は解決し得ない問題としてずっとくすぶり続けている。


 しかし、ユーロ危機のことは知っていても、それを授業の内容にほとんど反映させることができていなかった。オイラはずっと「極めて大きい」デメリットに触れてこなかったのだ。いやオイラ以外の多くの地理の教師もまた、ユーロ導入のメリットは説明しても、デメリットは教えてきていなかったのではないか。そもそも、オイラの使っている教科書や資料集には、ユーロ導入のデメリットなど触れられてもいなかった。


 (地域統合の)メリットなら書かれている。「関税が廃止されたり域内通行が自由になることで、ヒト・モノ・資本の移動が自由化され、域内貿易がさかんになる」だからそのことには授業で触れた。資料集のチャラいイラストを使って、浜矩子の言う「目先のこと」を、強調しすぎるくらい強調してきた。触れながらオイラは何となく居心地の悪さを感じてきた。関税の撤廃などによって、各国が比較優位にある産業に特化していくと、明らかに優位に立つのはドイツのような工業国である。地域統合のメリットだけを強調し、EU統合を肯定することは、ドイツ中心の経済共同体を肯定することにつながらないか。ひいてはTPPなどに代表されるブロック経済的な政策を肯定することにつながるのではないか。


 本来なら、EUの議論から、グロバリゼーションの功罪といった本質的な議論や、東アジア共同体の是非といった我が国の体制を問い直す展開も可能だったはずだ。それでも、グローバリゼーションは歴史の必然という話法がしみついていたため、オイラはそうした説明をやめなかった。オイラが怠惰だったことに、浜矩子の記事を読むことで思い当たった。要はデメリットなのだ。そのことに触れるべきだったのだ。オイラは思考停止していたのだ。


 ただ問題は複雑である。高校生の側には、ヨーロッパ現代史に対する基本的な知識はない。金融政策など政治経済的な知識もない。おそらくユーロ危機も知らない。一から説き起こしていくには、途方もない労力がかかってしまい、効率的ではない。ただ複雑なことを、複雑であるがゆえに触れないのでは、何も変わらない。今までに教えた人たちには申し訳ないことをした。EUやユーロについて、考えていく糸口になるような展開を考えなければとオイラは強く思った。