高山文彦「水平記−松本治一郎と部落解放運動の100年」新潮文庫


水平記〈上〉―松本治一郎と部落解放運動の一〇〇年 (新潮文庫)

水平記〈上〉―松本治一郎と部落解放運動の一〇〇年 (新潮文庫)


 西光万吉が起草したとされる我が国最初の人権宣言「水平社宣言」の相当部分が、他の文献からの引用で構成されていることを知ったのは、高山文彦「水平記−松本治一郎と部落解放運動の100年」を読み始めたからだった。


 ゴーリキーどん底」の「人間は元来勦わる(いたわる)可きものじゃなく尊敬す可きものなんだ」の下り、相馬御風の「ゴーリキイ」、そして福島県被差別部落出身の社会運動家、平野小劔が書いた「民族自決団・檄」と題するビラなどから引用されている。エントリーの最後で、平野小劔の書いたビラ「民族自決団・檄」と水平社宣言を並べて掲載しておくので、どれだけ引用されているかは是非確認してほしい。


 平野小劔は水平社創設のメンバーであり、水平社宣言の文案を添削したり、西光万吉にアドバイスした関係とのこと。だから無断借用とは違うのだが、かなりの箇所が平野の言葉であり、となれば水平社宣言は西光万吉と平野小劔の合作と言ってもおかしくないとオイラは思う。


 吉田智弥氏によると、西光万吉自身も、72歳のときにこう言っている。「水平社を創立するについて、もとより大会宣言がいりますから、その宣言をつくるについて私は気になって前から幾度も書いたり消したりして居ました。それで当時平野さんに大添削をしていただいても、それ程に思わず忘れてしまったのでしょう。(略)ですから、平野様がそれほど添削して下さったことも忘れて、自分だけで書いたように思い込んでいました。平野様と皆様にお詫び申し上げます・・・」


 そもそも 冒頭の「全國に散在する我が特殊部落民よ團結せよ」という言葉は「共産党宣言」の「万国の労働者よ団結せよ」という言葉のもじりである。とはいえ、西光万吉がことさらに有名な人の言い回しを剽窃したとはオイラは受け取らない。著作権等の認識が薄かった大正時代、西光万吉は、思想的に大正デモクラシーの精神を受けとり、解放運動をうちたてたのである。デモクラシーの精神があったからこそ、全国水平社をつくり、部落解放運動を形にすることができたのである。


 水平社宣言は中学の教科書にも載っている事柄であるし、部落解放運動史にとっては欠かすことのできない出来事である。だがその前に、ロシア革命であり、大正デモクラシーである。解放運動の側は歴史的意義を過大評価してはならない。


 「水平記」の話に戻ると、米騒動時の新聞・雑誌の果たした役割に対する記述も印象に残る。1918年の米騒動時、差別意識丸出しの新聞・雑誌は、米騒動の首謀者は部落民であり、職業や生活ぶりが凶暴な性質に反映していると書いた。これにより、それまでは蔑みの対象でしかなかった部落民を、人々は凶暴で恐ろしい者たちであるととらえる認識が広がっていった。「同和はこわい」という意識が作られはじめたのは、大正時代の頃の話であるというのだ。


 文庫は比較的小さい字で上下巻あわせて1000ページ弱。まだ読みはじめたばかりだがめっぽう面白い。最後まで読み終えてから、ちゃんとしたレビュウを書こうと思う。


 こちらが、平野小劔の書いたビラ「民族自決団・檄」の内容。 

 独創と創造力を有する我が民族に檄す。
 我等民族の祖先はもっとも大なる自由と平等の渇仰者であって、又実行者であった。そして最も偉大なる殉道者であった。我等はその祖先の血を享けた民族である。今や世界の大勢は民族自決の暁鐘を乱打しつつあり、我等はここに決然起こって封建的社会組織の専制治下より我々民族の絶対的「力」にまって我が民族の解放を企画しなければならぬ。(中略)他動的又は受動的に慈悲と憐びんとに依って解放を希うは我々祖先に対する「最大の罪過」である。我々は外皮のみの融和を求むることを止めよ。(中略)我々の黙す秋は去れり。幾百年来の確信を記する秋は来れり。(中略)全国に散在する我が兄弟姉妹等よ。大同団結を図り幾百年来の虐待と虚構より解放を期して自由、平等の新社会の建設に努力せよ。
          民族自決


 そしてこちらが、おなじみ水平社宣言。

 全國に散在する我が特殊部落民よ團結せよ
 長い間虐められて來た兄弟よ。過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々によってなされた我等の爲の運動が、何等の有難い効果を齎らさなかった事實は、夫等のすべてが我々によって、又他の人々によって毎に人間を冒涜されてゐた罰であったのだ。そしてこれ等の人間を勦るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際我等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である。
 兄弟よ、我々の祖先は自由、平等の渇迎者であり、實行者であった。陋劣なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であったのだ。ケモノの皮を剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代價として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへクダラナイ嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあった。そうだ、そうして我々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が來たのだ。
 我々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。
 我々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。
 水平社は、かくして生れた。
 人の世に熱あれ、人間に光りあれ。

大正十一年三月三日 全國水平社