人生の特等席



 (結末に触れています)
 俳優業からの引退を宣言していたクリント・イーストウッドの俳優専念最新作。勘と経験に頼る頑固な老スカウトのリストラの危機に、キャリア・ウーマンの娘が同行し、父娘の絆とプロスカウトの誇りを取り戻していく。クリント・イーストウッドエイミー・アダムスジャスティン・ティンバーレイクジョン・グッドマンロバート・パトリック。監督ロバート・ロレンツ


 「ミリオンダラー・ベイビー」や「グラン・トリノ」のような、見る者の人生観を揺るがす骨太で葛藤のレベルの高い作品を期待すると肩透かしに会う。題材は野球、舞台は南部、音楽はカントリー、ご都合主義的なストーリー展開などから分かるように、どう見てもこれはファンタジーだ。「ダーティファイター」など、ユルい(が面白い)アクション物を作っていた数十年前のイーストウッドの姿を連想した。


 特にエイミー・アダムス演じる娘とガス(イーストウッド)の関係が、オイラはことさらにファンタジーに思える。美人で父親コンプレックス。ほったらかしにされてきたはずなのに、母親のように父親の世話を焼き、その危機を救う。野球やビリヤードなど、娘が男世界の文化的嗜好に精通しているなんて、男性にとっては都合のよすぎる設定で、逆にオイラは居心地が悪い。その娘がたまたまモーテルで隠れた強豪選手を発掘する展開は、いくらなんでも偶然がすぎて鼻白む。


 また、劇中でエイミー・アダムスジャスティン・ティンバーレイクが、男女の距離を近づける重要な場面で踊るのは、クロッギングと呼ばれるダンス。元はアイルランドやイギリスで発祥した木靴の踊りだそうだ。躍動感が二人の高揚感とシンクロして、効果的だと思う。また何度も使われているの音楽が、カントリーの「ユー・アー・マイ・サンシャイン」。いずれも伝統的な白人文化であり、保守的でジジイにやさしい映画の基調をなしている。


 その御伽噺然としたユルさも含めて、映画は、古きよき牧歌的なアメリカを連想させるアイテムで統一されている。まるで一昔前のジョン・ウェインの西部劇のようだ。この世界では、老人の勘と経験がもっとも正しい。コンピュータを駆使する若いスカウトは、ことさらに「嫌な奴」として描かれていて少々かわいそうだ。イーストウッドのかつての父性主義やマッチョイズムを逆手に取った映画の成り立ちにはニヤリとさせられるが、いまさら父権主義を高らかに謳われてもなあというのが正直な感想である。