週刊東洋経済2012年11月24日号/知の技法 出世の技法第270回「東西冷戦構造が終始、帝国主義になれぬ日本」佐藤優


週刊 東洋経済 2012年 11/24号 [雑誌]

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 いよいよ選挙である。「国民は政治に関心をもつべきだ」という言葉を、我々は常識だと思っている。ところが、佐藤優は言う。「政治家やジャーナリスト、評論家など、政治を仕事にしている人以外が政治に関心を持たないのは、近代的な市民社会では当然のことである」と。


 「政治に無関心なのは当然」という佐藤優の言い分はこうである。市民社会では、国民一人ひとりが自らの欲望に応じて活動する。政治は、国民が自由に活動できる枠組みを保障する。政治に関与していると「余計なこと」にエネルギーを割かなくてはならない。自民党の長期政権時代、東西冷戦下では、国民は政治に関心を持つ必要がなかった。だから経済は発展した。


 ところが、東西冷戦が終結し、大国間の競争が加速すると、露骨に自らの国益を追求する帝国主義的傾向が、外交や軍事、経済において強まってきた。日本はこうした転換に乗り遅れた。乗り遅れたゆえに、政治の力によって、経済を改善することを、以前よりも強く望むようになった。民主党政権への政権交代もその表れだし「日本維新の会」に対する期待もその表れである、そう佐藤は言う。


 確かに、社会は複雑になり、利害関係者が増え、対立も起こりやすくなっている。政治の色が濃くなると、経済がうまくいかなくなるというのは、尖閣問題に端を発した中国の反日デモ日本製品不買運動を見れば明らかだろう。日本を取り巻く状況が悪くなると、さらに政治の果す役割を強く求める声が強まり、政治に対する期待値があがり、そのことが国民を満足させにくくする。これは悪循環だ。とくに選挙時には、各党は美辞麗句と理想論を選挙公約に掲げる。実務や調整の困難さを無視した選挙公約なら何とでも書ける。リップサービスに、国民は結局失望させられるのである。


 政治で何もかも解決することはできない。我々一人ひとりがよりよい社会を作るために、具体的に努力しなければ、この社会はよくならない。そのためのひとつの方策が、教育によって人々の意識を向上させることにあるなら、オイラの存在意義もあるというものだ。


 また、佐藤は、神奈川大学的場昭弘享受の言葉を引用しながら、民主党政権フランス革命時のジロンド政権の類似性を指摘する。「1789年のフランス革命で、当初権力を握ったジロンド派は、政治で国民の経済的要求をかなえようとした。その基本方針は、旧体制である国王、貴族、聖職者が持っていた富を、新勢力の市民に再分配しようとしたことである。民主党がおこなった事業仕分け子ども手当などの政策は、ジロンド派の再分配政策の日本版だ」


 フランス革命時の課題は現代の課題でもある。歴史は繰り返す。いや、進歩していないというべきだろうか。