中野雅至「財務省支配の裏側」朝日新書


財務省支配の裏側 政官20年戦争と消費増税 (朝日新書)

財務省支配の裏側 政官20年戦争と消費増税 (朝日新書)


 中野雅至氏の書く本は、いつも内容が濃く読みごたえがある。「官僚支配」と言っても場合によっては、実例や具体性を持って描き出されることが少ないため、リアリティがない図式的な「陰謀論」に終わっている場合もある。その点中野雅至氏は元官僚であり、自らの実感に裏付けされた官僚論に基づき、財務官僚を精緻に観察して、よりリアルな財務官僚の姿を描き出すことに成功している。


 「財務省支配」といっても、いろいろな支配の形が取り上げられてきたと中野は言う。一つ目は、1980年代までの大蔵省支配論。大蔵省の予算編成・税・金融の3つの機能や権限に基づいたもので、実際この頃は大蔵官僚は露骨なハードパワーを有していたと言う。


 これに対し、バブル経済崩壊以後現在まで続くのは「ニュー財務省支配論」。戦後、時を経るにつれて官僚機構は力を削がれてきた。とくに1990年代以降、橋本政権における官邸機能の強化、小泉内閣時代の小さな政府路線、安倍内閣で行われた公務員制度改革鳩山内閣での脱官僚路線などのおかげで、官僚の権威は失墜し、政官関係では政治が優位にたつようになった。それとともに官僚支配論は形を変えて語られるようになる。情報操作、世論操作、数字操作など、ジメジメとした形の、よくわからない実態不明の財務省陰謀論で、よくわからないがゆえに「陰謀」の部分が強調されているのが特徴である。


 また、3つ目は、民主党政権下の機能している財務官僚のありようを分析した「財務省インフラ論」である。予算編成は官邸が主導権を持つので、利害調整を行う財務省は政権にとって必要不可欠な存在である。財務省は、民主党政権の中枢に深く食い込み、ついには民主党政権運営霞ヶ関に丸投げするようになった。政権のインフラ機構を担う財務省支配の形がこうした「インフラ論」である。


 財務省支配の形といっても、様々な形があることを、本書を通じて著者は我々に示してくれる。また、財務省批判・官僚批判をする人は、対立者であったり、財務省との関係がこじれた元内部者であったりといった背景がある。中野氏にはそれが薄い。本書は、冷静で客観的な官僚の実態を描いているという点において、これまで出版されてきた「情緒的」財務省陰謀論に対するアンチテーゼとなっている。そのことを著者もかなり意識して本書は書かれているのだとオイラは思った。


 関連エントリ
 ■[本/文学]中野雅至「公務員だけの秘密のサバイバル術」中公新書ラクレ
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 ■[本/文学]古賀茂明「日本中枢の崩壊」講談社
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 ■[本/文学]原英史「規制を変えれば電気も足りる−日本をダメにする役所の「バカなルール」総覧−」小学館新書
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 ■[雑誌]週刊ダイヤモンド2011年8月27日号野口悠紀雄「超整理日記574/「消費税の目的税化は増税のためのトリック」
  http://d.hatena.ne.jp/furuta01/20110822/1314219081



 第1章 財務省支配論の今昔
  (1)かつての大蔵省支配論は最強組織を前提にしたものだった
  (2)政官財に張り巡らされた、さまざまなコネクション
  (3)冷戦時代のハードパワー中心の支配論と90年代以降の支配論
  (4)消費税増税論議の経緯と増税にからんだ財務省支配論議
  (5)明治時代以来、抗争を繰り返してきた「政」と「官」
  (6)自分たちで何でも決めるくせに、
    大臣の箸の上げ下げには気を遣う奇妙な官僚達
  (7)官僚優位と政治優位のそれぞれの言い分
  (8)官僚は企画立案し、政治家は文句を言うという役割分担
  (9)右肩上がりの経済成長が作った「グーチョキパー構造」


 第2章 自民党末期の政官関係
  (1)バブル経済崩壊後、威厳喪失で怒鳴られるキャリア官僚が続出
  (2)首相官邸で開催された会議で「リーク官僚」が暴かれる
  (3)ジメジメと続く官僚の抵抗−「霞ヶ関文学」にはめられる政治家たち
  (4)時間を操作してまで政治家に逆らおうとする官僚達
  (5)役所の外まで巻き込んで戦争を仕掛ける強かな霞ヶ関官僚
  (6)政官関係の最終局面と、おかしな所信表明演説
  (7)テレビで圧倒的優位を誇る政治家と、テレビに出られない悲しき官僚
  (8)官僚支配という「虚像」はどこまで本当か?
  (9)ついに落城する「霞ヶ関城」
  (10)財務省だけがなぜフェニックスのように復活することを許されたのか?


 第3章 民主党政権でなぜ財務省は復活できたのか
  (1)厚生労働省の軋轢をよそに、財務省では復活組が続々誕生
  (2)財務省パワーを科学すると意外と見えてくる盲点
  (3)復活の最大要因は「族議員+各省セクショナリズム」という 
    利権共同体の消滅
  (4)テレビ受けする若手ばかりが登用される民主党の人材の質って?
  (5)民主党の掲げる政策の方向性
  (6)「そして誰もいなくなった民主党のブレーン
  (7)知られざる財務省の「ハード」「ミドル」「ソフト」パワー
  (8)厚労省会計課が財務省出張所に化すことで支えられている
    財務省の情報収集能力
  (9)わかりにくいソフトパワー
  (10)「説得される」と「政治家との一体化」と「取り込まれる」の違いとは?
  (11)財務官僚の人材としての質と組織としての一体性
  (12)「財務省パワー」は単なる都市伝説か、
    それとも具体的なものを意味するのか?
  (13)財務省の説得工作の対象にされかかったという私的体験


 第4章 野田政権下で進む財務省支配の実態
  (1)民主党政権はなぜ財務省に依存するようになったのか
  (2)民主党政権の統治能力への不信で徐々に役割が大きくなる財務省
  (3)民主党政権が失敗した五つの理由
  (4)民主党政権の没落と霞ヶ関の復活
  (5)財務省が野田政権を支配できるのは、圧倒的な情報量と
    卓越した収集能力のおかげ
  (6)官邸へのアクセスの差が財務省優位を作り出す
  (7)政治がやるべき分野まで請け負う献身とフットワークの軽さ
  (8)まず有用な手足となり、そこからじわりじわりと切り崩しを狙った? 
    財務省の巧みな迂回戦略
  (9)野田内閣の誕生に財務省はどこまで関わったのか?
  (10)理念なき首相ほど官僚が取り込みやすい相手はいない
  (11)錯綜した各省の思惑と「霞ヶ関の守護神」としての財務省
  (12)自分たちが仕分けられそうになって、あわてて利権回復した財務省
  (13)新たに生み出される「財務省道義論」と「財務省暴走論」


 第5章「主導」から「支配」、そして「亡国の財務省」の時代へ
  (1)根拠が薄く社会に不信感と疑心をまき散らすだけの
    「ニュー財務省支配論」の罪
  (2)財務省道義論が問いかける財務官僚の責任倫理とは?
  (3)ひたすら消費増税という「財務省暴走論」はどこまで本当なのか?
  (4)さまざまな角度から分析できる「財務省支配論」
  (5)「財務省支配ってどういう意味?」というのは偽らざる官僚の本音か?
  (6)財政再建という視点からは説明できない「財務省支配論」
  (7)財政赤字を政治的に利用しているという支配論
  (8)予算編成権をめぐる戦いの中でこそ、はっきりする財務省の破壊力
  (9)たまに頭をもたげてくる「財政再建」「増税」という財務省の永遠の誓い
  (10)プリンシパル・エージェント理論で読み解く「財務省支配論」


 第6章 政官共倒れの後にくる政治カオスと国家破産
  (1)橋下通る支持の背後にある「閉塞感」と「破滅願望」
  (2)今後の政治・行政を規定する要因は何か?
  (3)コンセンサスを築けない「日本病」が日本政治を支配する
  (4)政治主導の宴の後の政治不信
  (5)激しく揺れ動く民意に嫌気を募らせる有識者と、実験される直接民主主義
  (6)徹底的な破壊を求める少しシニカルな有識者たち
  (7)民意と寸分違わぬことという大命題と、負け組占領社会の行方
  (8)右派革命と左派のささやかな取り組み、
    そしてポピュリズムの後に出てくる体制は?
  (9)「亡国の財務省」か「救国の財務省」か?