高山文彦「水平記─松本治一郎と部落解放運動の100年」新潮文庫


水平記〈上〉―松本治一郎と部落解放運動の一〇〇年 (新潮文庫)

水平記〈上〉―松本治一郎と部落解放運動の一〇〇年 (新潮文庫)


 上巻読了。同和問題がつまらないなんて思っていたら大間違い。抜群に面白い。生涯、部落解放運動の先頭にたち、全国水平社を率い、政治家として活躍した松本治一郎の評伝であり、全国水平社をめぐる人々の壮絶な闘いの記録。上巻だけで489ページ。下巻もあわせれば原稿用紙1600枚。膨大な資料に基づいて書かれたと思われる情報量。客観的で淡々と事実を記していくストイックな筆致。思わず引き込まれ時間を忘れて読んだ。尊敬すべき仕事。


 まずは松本治一郎という人物のスケールの大きさに圧倒される。筆者も書いている通り、今では松本治一郎の名前を知る人は少ないだろう。しかし、彼こそが「明治以後の近代化の流れのなかでつねに権力の敵として立ちはだかってきた」男である。堂々たるあごひげ、堂々たる体躯、腕っ節も強く、親分肌で、面倒見がいい。博奕に興じる部落の若者に、彼はこう言ったそうだ。「貴様ら、やめとかんかァ・・・・軽蔑されたままで、よかとか。松本組に来い。いつでも働かせてやる。こんどこぎゃんかこつしちょるの見たら、容赦はせんぞォ(88ページ)」


 松本は、九州最大のゼネコンにのしあがった松本組をバックに、経済的にも精神的にも全国水平社を支えた。全国の部落の人々に対し、あらゆる面で援助を惜しまなかった。彼は金持ちらしくなかった。中国人や朝鮮人を含めた部落の者とともに、土木作業や建築現場で汗を流した。質素な暮らしをし、浮浪者のためには炊き出しを毎日続けた。かと思えば、警官隊に取り囲まれながら、知事と直談判し、理不尽な徴税をとりやめさせた。年季奉公に出た部落民が、地主の家で家畜以下の扱いを受けていると聞けば飛んで行き地主をこらしめて待遇を改善させた。


 何度も投獄された。すべて濡れ衣である。彼の行動力を恐れる官憲の手によって容疑をでっちあげられ、拷問が当たり前の時代、厳しい追求を受けた。それでも意志を曲げずに部落解放運動を貫き通した。彼のことを部落の人々は「オヤジ」「慈父」「部落解放の父」と呼んだ。


 全国水平社とその周りの人々も活写されている。とくに1926年に起こった福岡連隊差別事件の下りは圧巻。福岡第24連隊内で横行する差別事件を目の当たりにし、軍隊という頑迷な階級社会の中で敢然と部落差別と闘った井元麟之、天皇に直訴をしたアナキスト北原泰作共産党の指令にしたがって、水平社弱体化を目的に、水平社による連隊爆破をでっちあげる岩尾家定・・・・。個性的で鮮烈な生き方を貫いた当時の若き社会活動家の人々の姿が、生き生きと描かれている。


 柴田甚太郎という若者がいた。彼は警察のスパイだった。なんと連隊爆破計画をでっちあげ松本治一郎を罪に陥れようとする特高警察に協力する。刑事を松本邸に招き入れ、証拠となる火薬を置く手引きをしたのである。それが証拠となって、松本治一郎は、3年6ケ月の懲役を受ける。しかし、その後、松本治一郎は何と彼に手を差し伸べるのだ。昭和11年、衆議院議員に初当選した際、水平社同人たちがひらいた祝賀会に、柴田を招いた。その場での出来事を柴田はこう回想する。「オヤジさんの前に出て両手をついて頭下げてたんです。するとオヤジさんは「元気でやってるか、丈夫で働けよ」の一言だけで何も言わなかった。底知れぬスケールの人ですね。今もつくづくそう思うですね(369ページ)」


 官憲の拷問のすさまじさ、当時の日本共産党の狡猾さ、天皇に関する考え方、そして大正から昭和初期にかけての時代の空気感・・・・。いろいろな意味で勉強になった。筆者の言う「あらまほしき日本人」の姿がここにある。上巻は昭和初期まで。いよいよこれから下巻に取りかかる。まだ半分この書を読める幸せをオイラはかみしめている。


 治一郎の晩年、部落解放同盟が力を傾けたことは、「同和対策事業特別措置法」という被差別部落地域の住宅や施設、道路などを整備する法律を作ることだった。その法律が国会で成立したとき治一郎はすでにこの世になかったが、まだ生きているとき、法案作りに追われていた元秘書で衆議院議員楢崎弥之助を呼んで、こうつぶやいたことがある。
 「同対法は解放運動を堕落させる」
 当時、秘書をつとめていた播磨昭吉も、同じ言葉を治一郎から聞いている。
 この予言めいた言葉は、同対法施行後、深刻なかたちで的中することになる。同対法によって発生した事業予算が利権化し、一部の幹部たちが公金を浸かって私腹を肥やしているという内部告発がおこなわれるようになって、利権をあさる「エセ同和」団体が跋扈し、弾圧につぐ弾圧を生き抜いてきた解放運動は「逆差別」という不本意な批判を浴びてしまう体たらくに落ち込んだ・・・・。
松本治一郎が生きた七十九年の生涯は、日本の近代史そのものである。晩年は高度経済成長のまっただなかにあって、経済最優先の波をまともにかぶり、結果としてこんにちの官僚腐敗のような一部幹部たちの堕落をまねいた。弱い者が弱い者を食う「弱肉強食」の論理が、被差別部落のなかに差別を生み出そうとしていた。彼らもまた私たちと同様、治一郎を忘れ去っていたのだ(14ページ)。


関連エントリ
■[本/文学]高山文彦「水平記−松本治一郎と部落解放運動の100年」新潮文庫
http://d.hatena.ne.jp/furuta01/20121130/1354288693
■[本/文学]高山文彦どん底 部落差別自作自演事件」小学館
http://d.hatena.ne.jp/furuta01/20121025