人権啓発新聞を書く


思ったより長くかかった。校内人権啓発資料。新聞として掲示する予定。「クラス全体で人権問題について考えるのって、意外に難しいんですね」という部分は、教師に向けたメッセージです。


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 ふと 目を止めてくれた あなたへ


 まずはお礼を言いたいです。見てくれてありがとう。これも何かの縁ですね。
 これは、人権問題の新聞です。
 ぶっちゃけ言うと「もっと考えてね」とあなたに訴えたいわけですが、まあ気楽に読んでくださいね。


 人権学習って言うと、正直「面倒くさい」って考える人もいると思います。先生主導で、真面目な感じもするし、問題が大きすぎて難しいし、決まった答えが出るわけでもない。戦争とか差別とか、遠すぎてピンと来ない・・・。
 その感じ、大いに共感するところですが、人権学習だからと言って、そんなに大上段に振りかぶって、高尚な問題だと思わなくてもいいと思うんです。
 むしろ、HR活動以外の何げない日常生活の中にも、あなたが成長できるきっかけになる事柄はいっぱいあって、それをじっくり考えて、広げていければいいんじゃないかと思います。


 まずは自分と周りから しっかり悩もう


 悩みのない人はいません。人間関係のこと、勉強や部活のこと、家族のこと。自分自身のこと・・・・。あなたも、いろいろ友人から相談されたり、語り合ったりすることもあるかも知れません。
 私たちが真剣になれるのは、自分や、自分の回りのことについて悩んでいるときです。とくに、いろいろ自覚して、自分を根っこから変えたいとか、親友の信頼に応えたいって思ったときに、人は必死で考えたり、柄にもなく真剣に語り合ったりすると思うんです。


 悩んで、心を磨いて成長して、心の位置を今よりも高く持つことができれば、本当にすばらしいですね。何でも話せる友人ができて、もっと遠くのことが見えるようになったら、周りの人のことも、よりリアルに考えられるようになるし、そうすれば人権問題も考えやすくなるんじゃないでしょうか。


 人権学習は やらされるものじゃない


 こんなふうに考えたらどうでしょう。
 障害者問題についてなら、「助けてあげよう」と漠然と思うだけでなく、「もし失明したのが、あなたの親友のAさんだったら、わたしには何ができるだろう?」。
 同和問題についてなら、「差別はよくない」と漠然と思っておしまいにするのではなく、「もし好きな人に「私は被差別部落出身なんだ」と打ち明けられたら、私はどうするだろう?」。


 つまり、自分のこととして考える。よく言われることだけれど、それが大切だと思います。
 他人事だと思っていると、人権学習は、抽象的で、手垢のついた、当たり前のことを繰り返すだけの学習になってしまいます。
 せっかく人権について考えたのに、「差別はいけない」ということしかか残らないなんて、実にもったいないと思うのです。


 クラス全体で人権問題について考えるのって、意外に難しいんですね。話し合う内容が先に決められていて、「さあ考えろ」となるから、身近な感じや自由さが薄くなって、うまくいかないのかもしれません。
 HR活動だけが、人権学習の機会ではありません。人権学習は、やらされるものではない。学ぼうと思えば、日常の些細なことからでも何でも、私たちは学べるのです。


 学習をするのは、あなた自身。「自分のこととして」「真剣に考える」あなたがいるから、生き生きと動き出すし、広がりも生まれるのだと思います。
 目の前がパッと明るくなるような、そんな体験ができたらいいですね。