CASA BRUTUS 2012年2月号


Casa BRUTUS (カーサ・ブルータス) 2012年 02月号 [雑誌]

Casa BRUTUS (カーサ・ブルータス) 2012年 02月号 [雑誌]


 明らかに価値観が変わった。もちろんきっかけは「3.11」。久しぶりに買った「CASA BRUTUS 2012年2月号」は、冒頭にシェアハウスの紹介で何と16ページ(プラス後半に3ページ)。創刊当時はブランド主義でバブリーな空気を漂わせ、富裕層向けの商売をしていた「CASA BRUTUS」が、今やシェアハウスの特集である。



 シェアハウスとは、一つの家を複数の人と共有して暮らすこと。紹介されている「シェアプレイス田園調布南」を例にとると、もともとあった築44年の独身寮を改修したもの。個室は約14平方m、つまり8.5畳と狭い。洗面室もトイレもシャワーもない。逆に共用部分は充実しており、キッチンもリビングも広い。トイレやバスルームも共用。特筆すべきは、近くを流れる多摩川にちなんで作られた「DOTE」と名付けられた巨大スロープ。住人はその上で思い思いにくつろいだり、イベントをして過ごすこともできる。70名が入居中という。


 シェアハウスそのものは従来からあったが、住提案として「CASA BRUTUS」に掲載されたことが画期的。これは「コミュニティの再構築」という「3.11」以後に浮上したテーマに通じる文化的提案とオイラは見た。原発のない豊かな暮らし、つまり今後シュリンクしていく社会をどう生きるか、そうした問いに対するとりあえずの答えが、コミュニティと連帯の復権であるとオイラは思う。


バラバラの個人をどうつなぐか


 戦後の近代化は、家族、地域など共同体の解体と分断の歴史である。村落共同体が崩壊し、核家族や単身者家庭が増えた。経済活動を活性化するためには、家族の単位は小さい方がいい。この国は経済優先で作られてきた。しかし「3.11」は、今後も同じような価値観では立ち行かないことを我々に示した。さらに原発を作り、グローバル化を推し進め、弱肉強食と競争を煽り、政治や社会を中央集権化していくことは、我々の暮らしをさらに犠牲にさらすことだ。グローバル化の名の下、気がつけば一握りの強者が膨大な富を握り、大部分の弱者は貧困にあえいでいる。我々は何か間違っていないだろうか。本当にそれでいいのだろうか。


 前のエントリーで触れた山口県祝島の人たちは、伝統的なコミュニティを強固に守りながら、上関原発に反対する運動を30年も続けてきた。その姿を見るとき、原発に代表される価値観に対抗するのはコミュニティ以外にありえない、個人がバラバラの現状を根本的に変えていかなければならない、オイラは最近つくづくそう思う。そのひとつの形が、「シェアハウス」だと思う。


豊かさとは何か考えさせてくれる阿佐ヶ谷住宅


 また、今号の「CASA BRUTUS」では、阿佐ケ谷住宅が取り上げられている。阿佐ケ谷住宅は、高度経済成長以前、1958年に日本住宅公団によって建てられた分譲型集合住宅。建ぺい率28%、容積率36%という低密度住宅で、ゆったりとした敷地と道路、広い共用空間、そして広い庭には、今や緑がいっぱいだ。築50年という住宅は、さすがに老朽化も進んでいるが、暮らしの豊かさとは何だろうと特集はオイラに語りかけてくれる。


 阿佐ケ谷住宅に住む栂野美樹さん「自然が好きでも、さまざまな理由で田舎暮らしができない人は多いと思います。でも、コモンとして住民同士が空間をシェアすれば、都会でもこんなに豊かな緑に触れられる。それに、共有の場所は人との関わりも生まれます。以前、人が緑豊かな環境を求めるかどうかは、その人の生い立ちに深く関係していると聞いたことがあるんです。その環境を知らない人は、なかなか価値がわからないと。私は緑に触れながら育って、今この住まいに安らぎを感じています。自分の子供にも、この環境の価値を見いだせる人になってほしい」


 この阿佐ケ谷住宅も、土地の有効活用という名目で、大規模再開発と建て替えの話が進んでいる。高さ10m以上の第一種低層住宅専用地域を「再開発等促進区」という規制を緩和する地区計画制度を用いて、高さ20mの6階建てマンションを作るというもの。しかし、この案だと、1000本ある樹木は、30本程度しか残らないという。修復・保全型の再開発の方が望ましいのではないのか? 本当に大切なものは何なのかを考えて再開発を行ってほしいと、特集を読みながらオイラはつくづく思った。