桜井章一「ツキの正体−運を引き寄せる技術」幻冬舎新書
- 作者: 桜井章一
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2010/05/01
- メディア: 新書
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道を極めた人には共通の、物事に対する普遍的な姿勢というものがあるような気がする。桜井章一氏は、麻雀の裏プロの世界で「代打ち」として超絶的な強さを誇り、「20年負けなし」という伝説を築いた人物。桜井氏の言葉は、宗教者などの言葉と不思議と重なる。ブルース・リーや桜庭和志の言葉とも。
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(以下引用)
麻雀を打つにしても、勝つためには、自分の手ばかりではなく、相手の動向を読み、牌の流れを見定め、場の空気を感じながら、変化していく情勢に合わせて、柔らかく動いていかなければなりません(35ページ)。
すべては循環しているのです。得ることと失うことは表裏一体の関係にあり、切り離すことなどできません。
得てばかりいて、得たものを同じところにせき止めておくと、それはいつかあふれだし、ダムが決壊するようにして破綻をきたします。知識やテクニックを頭に詰め込みすぎると、ナマモノである人間の回路が壊れて、ロボットのように決まりきったこと、誰かに指示されたことしかできなくなる(55ページ)。
素直というのは、人の言いなりになることとは違います。固定観念を持たないことです。決めつけない。すべての物事は常に変化するのだ、という大前提をちゃんと知っていて、固定観念を疑ってみる柔らかさを持っている。それが「素直」ということです。
人の言いなりになる人は、逆に固定観念に縛られ、それに疑いを抱きません。命令する側、管理する側から見ると、非常に扱いやすいという意味で「素直」だということになります。
つまり、自分に忠実な本当の素直さと、世の中を支配する都合上求められる素直さはまったく反対の意味を表している。ここに言葉の怖さがあります。混同するとえらいことになる。自分を曲げて世間の都合に迎合する「誤った素直さ」は害悪です(71ページ)。
言葉の怖さは、なんでもかんでもわかりやすく分類してしまう点です。「善人」と「悪人」、「成功」と「失敗」、「効率」と「非効率」という具合に、ひとたび言葉にあてはめてしまうと、対極のものとして分けることができる。
仮にある物事、ある行為が、善でも悪でもあるとします。どちらともいえない。しかし、それに思い切って「善」という言葉を貼りつけてしまえば「これは善である」という観念が独り歩きし始める。
もともと言葉なんて不完全なものなのに、本質のほんの一部分しか伝えられないものなのに、それを過信しているがために、おかしなことになってしまう。
世の中の万事万物は、わかりにくいことだらけです。
その中で人が生きていくということは、矛盾を矛盾として生きるということです。
言葉で説明できないことは山ほどある。
そういう認識を持たずに、言葉を全能視することは大変危険です。あらゆることを自分のわかる範囲に収めておきたい、と求めるのは傲慢かも知れません(118ページ)
桜井章一:東京都出身の雀士・作家。1960年代に麻雀の代打ちとなり、20年間無敗のまま引退したと言われている。1988年「雀鬼流漢道麻雀道場 牌の音」、1991年「雀鬼会」を創設し、「雀鬼流」という桜井章一の雀風や生き方を指導している。
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