「駆け込み退職は無責任」となじる前に 追記


 1月31日のエントリーに書いた「退職金減額に伴う駆け込み退職」に関する投書は、2月4日付の徳島新聞の「読者の手紙」欄に掲載された。今までもそうだったが、この欄の掲載にあたっては、毎回原稿に細かく手が加えられる。結果、オイラが意図したニュアンスが見事に飛んでしまった。勝手な校閲は不愉快だが、理不尽な校閲があることは承知のうえで投稿しているので、その是非をここでどうこう言うつもりはない。ただ、微妙なニュアンスも含めての投稿なので、このブログで補足説明をしておきたい。 


 もともとオイラは次のように書いた。「本県では95%以上の教員が、経済合理性を脇において、馬鹿正直に職責をまっとうしようとしているのである」。この「馬鹿正直に」という言葉がカットされた。この部分がカットされたら、オイラの真意が伝わらない。


 3月末まで勤務する教員についての、オイラの考えはこうだ。早期退職を踏みとどまったのは、教員に高い職業倫理があるからか。違う。「世間の眼」や「人間関係」があるからだ。もし早期退職を選択したら「あの先生は退職金欲しさに辞めた」と後々まで言われる。場合によったら、退職後も非常勤で再雇用してもらおうと考えている教員もいるだろうし、それにも支障が出る。


 また、教員は保守的な人たちが多く、上から決定されると、合理的な判断ができなくなる傾向も強い。こうしたしがらみや心理的傾向があったからこそ、経済合理性を脇において、95%の方が3月末まで勤務を選択したのだとオイラは思う。


 そんななか、早期退職を選択した方は、かなりの勇気が必要だっただろう。個々人にはそれぞれの事情があるわけだから、辞めざるを得ない人もいるし、そもそも自分や家族のためにより多くの報酬を得ようとすることは、何ら非難されることではない。雇用契約は労使対等だから、一方的に報酬等が引き下げられたら辞める権利があるのは当然で、そのことで無責任のそしりを受けることは、憲法で保障された職業選択の自由の侵害になる。むしろ今後想定される教育現場の労働条件の引き下げを牽制するという労働者側からの観点からすると、もっと多くの方が我慢せずに早期退職を選択した方がよかったのではないかとさえオイラは思っている。


 だからオイラは、3月末まで退職しなかったからといって、辞めなかった教員の方が高い職業倫理を持っているとは思っていない。しかし、たとえどんな理由や動機にしろ、退職金の150万の減額にもかかわらず、3月末までの勤務を選択し、責任をまっとうしようとした事実に関しては、素直にオイラは頭が下がる。だから「退職者の姿勢を、まずは素直に評価しておいた方がよろしかろうと思う」と書いたのである。


 最後まで勤め上げたから、高潔なのではない。また途中退職をしたから「無責任」なのでもない。「辞めなかった人が大部分だけれど、早期退職した人もいた」ただそれだけのことだ。それを「無責任」と言い立てることは、教師に対する一面的なイメージに基づく一方的な非難である。それに一部の人が早期退職したことで、教育界に目立った混乱が生じたという事態をオイラは寡聞にして知らない。何を大騒ぎしているのか。


 「教師は聖職である」という言説は、教師を縛るための一部の人たちに都合のいいフィクションでしかない。mcintoshさん1/31のコメント欄に書かれているように「個人の犠牲は厭わず、子どものために責任を果たせ」という考え方は、ひいては「個人の犠牲は厭わず国のために責務を全うせよ」に置き換えられていく。戦時中がそうであったように、労働者全体の労働条件が不当に引き下げられていく。ヒステリックな非難は、誰かの思うツボである。


 関連エントリ
  ■[教育]「駆け込み退職は無責任」となじる前に
   http://d.hatena.ne.jp/furuta01/20130131