第65回徳島県高等学校演劇研究大会「そばや」総括


 いろいろあって総括が遅くなった。実際にこれを書いているのは11月29日。一週間もあると、さすがに自分の姿も客観的に見られるようになる。


 22日〜24日高校演劇の県大会。勤務校の演劇部の上演「そばや」が終了した。今年も奨励賞に終わった。労力をかける割にはいつも報われない。結果発表のあった24日、疲労がピークに達し、とにかく早く帰って睡眠を取りたい、ひたすらそう考えて入浴剤を買って帰宅した。


 風呂に入り、体をほぐしながら、演劇部顧問として自分のことをいろいろと考えた。気がついたのは、今のオイラは「芝居全体に責任を取っていない」ということである。今年、台本を書かなかったのも、生徒にオイラの考える芝居を押しつけなかったのも、中途半端に高校生の意思を尊重したのも、結局は自分の責任において芝居作りをすることを「避けた」ということなのだと思う。


 今回四国大会に行くことになった富東羽ノ浦校のムラハシ先生も鳴門高のサイトウ先生も、脚本から効果、演技、部員のありようにまで、全体に目配りをした作品作りをしている。オイラがやっているのは、ただ単に狭い範囲の「演技指導」。おそらくその差が、この結果につながったのだとオイラは気がついた。


 今年の芝居では、大道具は何年も前に作ったものを使い回し、脚本も既成、衣装も制服、小道具はほとんどなし。演技で見せるといいながら、いろいろ理由をつけて何から何まで省力化に流れたのも、反省しなければならない。大道具などは必要ない、演技で見せるのだと、オイラは自分に思いこまそうとしてきたのである。


 ここ数年、オイラの考えはこうだった。演技に説得力さえあれば、明確な破綻や矛盾があってもカバーできる、いやむしろ設定や構成に矛盾があった方が、演技の意味が際立つ、矛盾をことさらに説明で埋めようとするのはダサい、そのための演技指導は惜しまない。実際、演技指導は、おそらくどこよりも精緻にきちんとやっているから大丈夫だ、だからあとは役者のがんばり次第である。


 「あとは役者のがんばり次第」。冷静に考えると、一年生主体の未経験な普通の人たちである部員に、高いレベルの演技を求めるのは、正直、酷というものである。それに、高い演技を求めれば求めるほど、役者には負担がかかり、余計な緊張を強いることになる。確かに昨年までの生徒は、それを乗り越えてきた。だが、今年の生徒が乗り越えられるとは限らない。未熟練な役者に対し、ハードルの方は高くなっているのだ。


 22日の本番。明らかにセリフが早かった。役者たちは緊張のため冷静さを欠いていた。間やニュアンスが飛び、悪い流れを押しとどめることができず、消化不良のまま、あっという間に本番は終わってしまった。客を置き去りにしたまま、台本の表面をなぞっただけの、本来の力の数パーセントしか出すことのできない50分。一番時間をかけたのは「演技」だったはずなのに、その演技が無残にも崩れた。演技が空振りなら、この芝居には何もない。呆然としながらオイラは本番を見ていた。


 役者はがんばりきれなかった。だが、本当にこの結果、役者の責任なのか。オイラの責任ではないのか。知らず知らず、責任を部員に転嫁して、そのことが役者に余計な緊張を与えていて、それがこの結果を引き起こしていたのではないか。


 正直に言う。オイラは自分が責任を取るのが怖い。いい作品を作らなければならないというプレッシャーが、オイラには人並み以上に強くある。ヘンなプライドがあって、もし全力で作った作品がヘナチョコだったらどうしよう、と、無意識のうちに思ってしまい、その意識が、高校生の自主性を尊重するフリをすることにつながっているように思う。


 高校演劇は高校生の活動。だから部活動は高校生のもの。顧問が口を挟みすぎるのはよくない。いやその通りだと思うが、ならばどうして顧問であるフルタは口を出すのだ? 部活動が高校生のものと思っているのなら、もっと生徒の自由にさせてやればいいではないか。でもそんな芝居作りは、クオリティ的にありえないと思ってしまう自分がいて、結局口をはさんでしまう。そう、自分のやっていることは、中途半端なままでしかないのだった。


 ちゃんとした作品を作るつもりなら、誰かがリーダーシップを取って作品の完成度に責任を取らなければならない。責任を取るのは、生徒でも顧問でもいいと思うが、その役を誰も引き受けていないまま、中途半端なまま、今年の芝居は作られた。それは「そばや」にとって、不幸なことだと思う。


 はっきり言って、個人的には、時間的にも気力面でも、高校生の演技指導で精いっぱいというところは正直ある。だが、誰かがリーダーシップを取って作品の完成度に責任を取る覚悟がなければ、心に残る芝居は作れない、これは確かなことでもある。その厳粛な事実をオイラは今回、真摯に受け止めたいと思う。