第39回四国地区高等学校演劇研究大会(サンポートホール高松12月26・27日)


 ブログをガッツリ書いている頃ならまだしも、時々Twitterでつぶやくぐらいしか発信していない昨今、実感に即して大会の感想を書いても、意を尽くすことができるとは到底思えず、変に誤解されるのも不本意なので、今回は口をつぐんでおこうと思ったが、オイラ退職まであと6、7年、演劇に対する知見を自分の芝居や勤務校の演劇部の洗練に費やすのではなく、広く後進に伝え共有したいと思う今日この頃、拙文を読んで何らかのひらめきを感じてもらえたらと思い、少々時機を逸したがあえて全体の感想をここに記す次第。正直わからない芝居が多かったので、正鵠を射ているか、今年はちょっと心配だ。


 少々フラストレーションを感じた大会だった。例年と比べると創作が少ない。それも分かりにくい作品が多かった。作り手の水準があがり、意欲的に独自の表現を追求しようと試みるのはいいのだが、役者の力量に比して難易度の高いアクロバティックな表現法にチャレンジした結果、観念的になり、役者の身体のリアリティが感じられなかったり、難解な部分がむきだしで未消化なまま終わった作品がいくつか見られた。作り手が観客をうまく乗せて転がすところまでいっていない作品が多かったように思う。


 手練れの作者、越智優の書いた松山東高「青空をスプーンですくいとる方法(またはファントム・オブ・ザ・スクール)」は、ソーントン・ワイルダー「わが町」を下敷きにした演劇部ものだったが、役者が台本の内容をとらえ身体化するところまでは至っていなく、珍しく観念的なまま終わってしまっているように見えた。台本が少々観念的だったとしても、役者の身体に説得力があれば、その内容を越えたところで観客をとらえることができる。そうしたチャンネルをうまく作り上げることができたなら「わが町」を知らない多くの観客にも、芝居を「わかった」と思わせることができたのではないか。


 とある大学生アパート周辺で起こる青春の日々、そこから未来を選択し歩み出そうとする若者の姿を描いた阿波高「ハムレット・コミューン」は、複雑でアクロバティックな構成だが、台本に作者の意図がきちんと書きこまれていることもあって、オイラにはよく理解できた。意欲作だと思うし、高校演劇の水準を一歩前に進める作品だと思う。もちろん教養として「ハムレット」についてのおおまかな知識のない大多数の高校生なら、この作品を理解することは難しいだろうが、ナンセンスなユーモアと、荒削りだが勢いのある役者たちから、独特の存在感が感じられ、舞台の上で生き生きと躍動していた。観客を笑わせ、引きこんでいた。


 最優秀に選ばれたのは、応援部の引継式の様子をスケッチ風に描いた丸亀高「用務員コンドウタケシ」である。正直言って演出や演技はお世辞にも洗練されているとは言えないし、審査員が変われば最優秀は別の作品になっていたかもとオイラは思うが、無理な背伸びをさせずに芝居作りをしていることが、好結果につながったのだと思う。役者の素の部分の身体の状況と、放課後の応援団のスケッチという内容がうまくマッチし、ある種のリアリティを生んでいた。全国までに、応援団の迫力を徹底的に磨いてほしい。


 城ノ内高の大窪俊之作「はやく手に入れなければならない」については、正直にいうと、今回の芝居は本当にわからなかった。いつもなら、分からないなりに観客の読み解くヒントがちりばめられていたり、ユーモアによってエモーショナルな理解がうながされたりするのだが、今回は、次々に表れるさまざまな「世界をとらえるイメージ」が、とりとめなく浮かんでは消えていくように思えて、オイラの中でついにさらに大きなイメージとして像を結ばなかった。もっとも、理系の分野についてオイラがもっと詳しければ、また別の感想になっていたかも知れない。


 
 また、今回は、全国大会で上演され成功した有名な既成作品の上演が多かった。オリジナルと比べられてしまうので、コンクールという面では不利である。よほどの新解釈や演技を見せないと、オリジナリティという面でのハンディはなかなか埋められない。ただこれらの作品が多く上演されたことが、創作作品が観念的であったことを対照的にうかびあがらせたという一面もあったと思う。


 とは言え、本当は、台本の巧拙や既成創作の違いを越えて、結局は身体の説得力こそが独自性を生むのだと思う。ただし、舞台にあがるのが高校生だけなのが高校演劇なのだから、よほどの努力やオリジナリティがない限り、他の作品と差異化を図るのは難しい。しかも、いまいる人たちしか手駒はないのである。そこをなんとかしようと創作組は苦しんでいる。それを頭において、既成組にはさらなるオリジナリティを求めて芝居作りに取り組んでもらいたいと思う。