渡辺航「弱虫ペダル 第1巻」(秋田書店)


弱虫ペダル 1 (少年チャンピオン・コミックス)

弱虫ペダル 1 (少年チャンピオン・コミックス)


 高校教員であるオイラは、ときどき朝の通学指導に立つ。さいきん実感できるのは、スポーツタイプの自転車に乗る高校生の姿が多くなったことだ。とくに、この1〜2ケ月で明らかに増えた。それもロードバイク。「速く、遠くに」行きたいと思うのは、とても健全な精神のありようだとオイラは思う。寒さに負けるな、高校生。


 ブームのきっかけは、少年チャンピオンに連載中の「弱虫ペダル」だろう。アニメ化されて本格的に火がついた。一途な主人公が、ライバルとの対決、仲間との絆、自己犠牲など、自転車競技を通じて成長する、少年漫画の王道を行くマンガだ。


 ただ、今の若年層にロード文化を根付かせつつあるという、このマンガの功の部分は認めつつも、かなり荒唐無稽な導入部には、オイラは違和感を覚えてしまう。マンガなんだから、誇張があって当たり前、重箱の隅をつつくような見方はダサい、そんな一般論もアタマでは理解できるが、このマンガにノリきれないのは、オイラがロードバイクに「すでに乗っているから」だろう。


 第一巻では、まだ本格的なレースの場面は描かれない。主人公である小野田坂道は、体育系の部活動などには無縁の、絵に描いたようなオタク。秋葉原まで片道45km以上の道を、毎週ママチャリで往復しているうちに、(本人が知らない間に)脚力が異常に発達し、ママチャリにもかかわらずロードバイク乗りに負けないほどの、天才的な登坂力や走力を獲得する。


 彼は「努力して体を鍛えているつもりはない」「無垢な天才」である。意図しないまま「自転車対決」の場面に巻き込まれ「自然体で」次々と成果を出していく。周囲は勝手に驚いたり期待したり、カワイイ女子は熱い目で見守ってくれたりする。ロードにいまだ乗ったことのない若い読者が、自己をマンガ世界に投影し夢想する導入部としては、とても都合がいいつくりだ。いや、都合がよすぎて、願望充足に迎合する作り手の姿勢があざとく感じられ、逆にオイラは「ケッ」と思ってしまうのは、オイラが生まれついてのアマノジャクのせいだろう。


 同じスポーツでも、たとえばプロレスやボクシングなら、実際に体験する人は一握り。だが、自転車に乗ることは、自分の日常の身体の延長線上にあり、ある程度イメージできる。「ひょっとしたらオレも」「やってみようかなあ」という欲望を喚起するしかけが、今どきのマンガらしくうまく作りこまれているとオイラは思う。


 だが、この導入部は、あらゆる面でとても非現実的だ。たとえば「斜度20%以上の激坂2キロ」(何と裏の通学路という設定!)というのが出てくるが、斜度20度の坂というのは、普通の人間の体感的には、ほとんど「壁」に近い。自動車ですら登るのに恐怖を感じる坂だ。


 個人的なことだが、オイラが今まで登ったもっともキツい坂は、平均斜度18%が3.5キロ続く区間だった。延々続く急坂に、ペダルは岩のように感じられ、前輪が浮きあがり、振りかえるとその高さに足がすくんだものだった。オイラは途中で心が折れた。いったん足をついてしまったら、再発進すらままならない。ところが、このマンガの主人公は、それ以上の激坂を、なんと「ママチャリ」で、楽々と登っていくのである! まさに天才的な能力の持ち主。クリートなしで、特別なトレーニングも何もせず、エリートの今泉と対等に渡り合えるのだから!


 いや、そうした主人公の設定そのものは、悪いとは思わない。デフォルメはマンガの得意分野であるから、主人公を過剰な能力を持つ怪物的な設定にしても、それは構わないと思う。ただ草食系の小野田坂道がすいすいママチャリで登っていったり、学校の通学路だったりするので、激坂が今ひとつ激坂に見えない。誰かがその坂のコワさやスゴさを口にすれば、読者に印象づけられると思うのだが、ギャラリーはまるで普通のどこにでもある坂のように振舞う。


 主人公たちの最大のライバルは、この「坂」そのものであるとオイラは思う。驚異的にキツい坂だからこそ、登場人物のすごさが際立つ。そんなにキツくない坂なら、必死のトレーニングをしているのに、ママチャリの主人公に並ばれるエリートの今泉が、バカに見えるではないか!


 さすがにもう少し後からは、本格的なロードレースマンガに移行していくのだが、この時点では、普通の人間の身体感覚などが、どこかに置き忘れられている感じが拭えず、荒唐無稽が作品のリアリティを殺いでいる印象だ。逆に、そこさえ押さえていれば、あとの設定がどんなに荒唐無稽でも、受け入れられるのになあとオイラは思う。