朴裕河「和解のために」


和解のために?教科書・慰安婦・靖国・独島 (平凡社ライブラリー740)

和解のために?教科書・慰安婦・靖国・独島 (平凡社ライブラリー740)


 この本のことを知ったのは、雑誌「SIGHT」2013年冬号。高橋源一郎氏が本書を「すごく面白い」と紹介していて、興味を覚えたのだった。


 高橋氏は言う。
 「彼女は、日本と韓国の間には4つの問題があると書いている。教科書、従軍慰安婦靖国神社、独島。この4つの問題で鋭く対立してるでしょ、日本と韓国は。この人(朴裕河さん)、韓国の人なんだけど、和解のためにどうするかというと、両方の言い分をまず徹底的に聞く。これがすごい。(略)結局、どっちが正しいということはないという話になっていく。その議論の出し方がすごくチャーミングというか、極端にフェア」


 「韓国は、韓国が100%正しいということを認めろってずーっと言ってるよね。でもこれじゃあ和解は無理だと朴裕河さんは言っている。(略)たとえばどういうことかっていうと、慰安婦問題。この問題については日本が100%悪いということになってるけど、そうは思わないと。つまり、当時慰安婦にされた人たちっていうのは、日本軍とか日本の業者が関与しただけでなく、その父親、養父が積極的に送り出してる。(略)韓国は元々男尊女卑の伝統があってね、女は家のために働けってことで送り出した。つまり家父長制が免罪されているというのが朴さんの視点。だからフェミニズムの観点からいうと、日本軍も韓国の父親も同罪(後略)」


 独島についての、本書の意見はこうだ。


 「…独島は、常に韓日間の紛争と対立の種であった。これまでその「紛争」がさほど目立たなかったのは、いまではよく知られているように、日本側が自国の領土とみなしてはいても、韓国政府が「竹島の不法占拠を続けている事態」に対して「重ねて厳重に抗議」し、「竹島からの韓国公務員即時退去ならびに建造物撤去を強力に要求」しながらも、それ以上の強硬な行動を取ってこなかったからといえる。日本がそうしてきたのは、この問題が「平和的に解決されるべきである、政府としては外交上のルートを通じて本件紛争の解決をはかりたい」との方針を立ててきたからだろう。日本も独島を自国の領土と信じて疑わない以上、そのような前提がありながら平和的姿勢を堅持してきたと言う事実自体は、評価されるべきである。(P162−P163)」


 「…国境というものは初めから存在していたものではなく、近代国家が形成される過程で生まれたものである。境界線について、とりたてて関心も情報ももたず、その地域で永年暮らしてきた人々を、権力を握った中心部が自らの領域へと取り込みながら描くものが、国境なのである。(P207)」


 「重要なのは、決して短くない期間を通じて、朝鮮人と日本人が鬱陵島でともに暮らしたという事実である。そしてこうした状況こそが、まさしく近代以前、すなわち国民国家としての境界がまだ不確かだった時代の、自然な姿であったはずだ。(P205)」


 「そうだとするなら、…むしろ独島を、両国の共同領域としたらどうだろう。(P210)」


 大真面目で共同管理について提言する朴裕河氏。日本と韓国の和解の形を模索しようとする彼女の柔軟性は、とても新鮮に映る。自国の優位性を言い募る人たちには、彼女の意見は到底受け入れられないだろうが、彼女のように考えない限り、日韓はいつまでも平行線で、問題の解決はありえない気がする。そうした点において、とても現実的な意見である。日韓の問題について発言する人のなかに、彼女のように考える人はいない。客観的に理解するための視座を提供してくれる。


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