考えるな。感じるんだ。
演出家は、演じることを「楽しめ」というけれど、完全に役に没入している状態では、自分自身の状態に対する感覚は低下していて、むしろ演じている瞬間には、「我を忘れている」状態が理想的状態だと思う。まあ舞い上がりがちな役者をリラックスさせるために「楽しめ」というのはありでしょうがね。
— 古田 彰信 (@furutaakinobu) 2018年9月4日
そうですね。何かふだん言ってることと違いますね(汗)。ここは役者の意見を聞かせてくださいな。
— 古田 彰信 (@furutaakinobu) 2018年9月4日
なるほど。オイラは、演じている「瞬間」と、「瞬間」を見て評価している「「少し遅れた今」に生きる自分」に分けて考えてみたわけです。演じている「瞬間」は、無我夢中だけれど、「いい感じにできているな」と「少し遅れて自分を見ている自分」がいて、その意識が入り混じっている感じじゃないかと。
— 古田 彰信 (@furutaakinobu) 2018年9月4日
そうそう。純粋に「いま-ここ」の瞬間に考えていることは、役のことだけで、楽しいって考えていたら、役に没入する邪魔になるんじゃないかなと思って。まあオイラは役者じゃないので、ここらの皮膚感覚がわからないんですけどね。
— 古田 彰信 (@furutaakinobu) 2018年9月4日
あっ、「邪魔になる」のは、「いまーここ」の瞬間に楽しいと考えることですよ。「少し遅れた今」はレイヤーが違うので、楽しいと考えていてもいいんです。
— 古田 彰信 (@furutaakinobu) 2018年9月4日
ずっと没入してるのがいいのかもしれないですけど、没入する自分と客観的な自分が入り交じっています。
— もり まさえ (@frwf_r) 2018年9月4日
ですがそのへんは、人にもよると思いますし、その時の自分の状況にもよるので、その時々によって肌感覚は変わってくるような気がします。
ぜひぜひ。それまでに企画考えておきますね。
— 古田 彰信 (@furutaakinobu) 2018年9月4日
現代の舞台だけでなく能も『演じる』という点において同じ考え方をしているんだろうな〜。面を付け替えて(時には自分の顔すら一つのガワにして)役に『成り代わる』訳だから、そこではむしろ自我は不要なものなんだよな>RT
— 青海クラカズ (@oumi0kurakazu) 2018年9月4日