FUNRIDE2005年5月号/BICYCLE CLUB2005年5月号




連載「東京24区。疋田区長の自転車政」第2回 歩道に自転車を上げるって!?(怒)(FUNRIDE)

連載「自転車ツーキニスト疋田智の“現場からの生中継”」vol.38 「ママチャリがもたらした」看過できない動き(BICYCLE CLUB)




 一昨日の「フルタルフ文化堂」で疋田智氏のことを評して「おかしいことにはメーカーにも社会にもきちんと異議を唱えていて、前々から気骨のある書き手だと僕は思っていた」と僕は書いたが、はからずもそれを証明する疋田氏の重要な記事を目にした。以下、4月20日発売の先述自転車雑誌からの引用である。


 さて、区長は激怒している。怒髪天を衝いているのである。おまえには怒っても逆立つ髪なんてないだろう、という突っ込みは無用。要はこうしてキーボードを叩く指が震えるほどの怒りなのである。まあ聞いてくれ。先日、ある信頼すべき筋から実にイヤなイヤなイヤーな話を聞いたのだ。

 何でも警察庁は「自転車は歩道を通るべからず、歩道を通ること」という法案を作成中だという。ガセネタだろうって? いやいや、彼らは本気だ。今通常国会への提出は見送ったものの、早ければ来年、そうでなくとも再来年に提出、という。目的は「交通事故による死亡者数を減らすため」。(「自転車政」より)


 自転車がどこを走ればいいのか分からない。その現状は警察庁も認識している。だったら歩道にあげてしまえ、というのがこの目論見の原点にある。それを「交通事故を減らすため」というベールで覆い隠している。すでにほとんどの自転車(つまりママチャリ)は、歩道を走っているという現状が、その後押しをしている。

 考えてみれば警察官の自転車、いわゆる「白チャリ」も随分前から歩道を走っている。まだ法制はできていないものの、警察庁の指導が既にそちら方面に向いているからだ。私自身も「交通安全協会(最も有名な警察庁天下り団体)理事」と称する人間からこんなご意見を拝聴したことがある。

 「自転車は歩道を走ればいいじゃないですか。車道を走るのが原則とされているならば、その法律を変えてしまえばいいんですよ」(「現場からの生中継」より)


 私は耳を疑った。バカを言ってもらっては困る。現在すでにいろいろな外国人有識者たちから「日本の交通行政は野蛮である」と言われているのを知らないのだろうか。この言葉には正義と整合性がある。何となれば、交通行政というものは必ず「弱者優先」を原則としてしかるべきだからだ。

 車道は「クルマ」の聖域ではない。歩道が「歩行者の聖域」なのである。ある程度以上のスピードが出て、車輪があるモノが歩道を通るというのは、そもそも間違っているのである。実際に世界広しといえど日本だけなのだ、自転車が歩道を堂々と走行しているのは。(「自転車政」より)


 僕も、氏の文を読んで「自転車の歩道通行? 絶対反対」と思ったひとりだ。

 ちなみに、現在の道路交通法第17条では「自転車は車道を通行しなければならない」と規定されている。例外として、第63条の四において、「道路標識等により通行することができるとされた歩道のみ、歩道を通行することができる」ということになっている。

 車道を自転車が走るのは「通行しなければならない」からであり、歩道を走るのは「一部の歩道のみ」「通行することができる」に過ぎない。現行法では、自転車は車道を走らなければならないのである。


 それなのに、現状では歩道に多くの自転車があふれている。これはどうしてなのだろうか。

 話は1978年までさかのぼる。当時、自転車事故は現在より多かった。そこで特例措置として「自転車歩道通行可」の標識がある歩道だけは自転車が走ってよい、という法改正をおこなったのがきっかけだった。道路交通法第63条の四がそれである。その後歩道を自転車が走ることが当たり前になって、自転車の歩道走行は定着したのだ。現在では「自転車通行可」の標識のない場所でも、あたり前のように自転車は歩道を走っている。


自転車歩道走行の問題点−「自転車の歩行者化」−


 現在では、車道を走る自転車より、歩道を走る自転車の方が圧倒的に多い。こうした状況が定着したのはどうしてなのだろうか。

 鈴木邦友氏は、「自転車の歩道走行」によって、自転車の走行について、いくつもの混乱が生じるようになった、と指摘する。

http://urawa.cool.ne.jp/chiefambco/nc9609.html

 たとえば、自転車は左側通行であり、歩行者は右側通行である。おまけに自転車通行可の歩道はずっと続いているわけではない。歩道が終わって自転車が車道に復帰しなければならない場所も多い。しかし、そうした場所で、自転車はどう通行すればいいのか、複雑な判断を強いられることになる。

 また、道路交通法第63条では、自転車通行可の歩道を通行するにあたって「歩行者の妨害になりそうな時には一時停止すること」等が明記されているが、構造的に自転車の低速走行時には不安定さを伴うこともあって、発進停止の難しさ等、こうした法律にしたがって走行することは実際とても難しい。

 等々、自転車の歩道通行が定着して以来、自転車が歩行者として通行するべきなのか、車両として通行するべきなのかが不明確になってしまったというのが鈴木氏の論点である。

 その結果が「自転車の歩行者化」である。自転車は、道路交通法にしたがって走るのではなく、歩行者のルールにしたがって、歩行者とさほど変わらない意識で自転車を運転することになる。並進・逆走・二人乗り・無灯火・傘さし運転・信号無視など、今の大部分の自転車運転者のマナー意識の欠如は、そうしたところに原因がある。


 また、いわゆる「ママチャリ」の増加も、日本のいびつな交通事情を反映している。今から20数年前は「ママチャリ」の比率は多くなかった。高校生男子でスポーツ自転車に乗る者の比率は、今よりも断然高かったと思う。今、スポーツ自転車で通学している高校男子は皆無と言っていい。こういう状況になったのも、自転車が「歩行者化」したからだ。歩道では速い速度で通行する自転車は必要ないのである。

 (この項つづく)