FUNRIDE2005年5月号/BICYCLE CLUB2005年5月号その2




連載「東京24区。疋田区長の自転車政」第2回 歩道に自転車を上げるって!?(怒)(FUNRIDE)

連載「自転車ツーキニスト疋田智の“現場からの生中継”」vol.38 「ママチャリがもたらした」看過できない動き(BICYCLE CLUB)



 (昨日の記事の続きです。先に昨日の記事をお読みください)

 

問題解決のために−基本的な考え方−


 鈴木氏は、問題を解決するための方法はふたつある、という。

 ひとつは、自転車を完全に車両とみなす方法。

 もうひとつは、自転車を完全に歩行者とみなす方法。

 前者を選択したなら、自転車が安全に走れる道路(車道)整備と、自転車の運転者に対する交通教育を徹底すればいい。後者を選択したのなら歩行者と自転車が安全に共存できる歩道や標識、信号機等の設備の整備と、自動車からの完全な保護をすればいい。

 しかし、鈴木氏はこうした方策の実現に懐疑的である。「どちらを選ぶにしても多くの人手と膨大な予算、そして長い年月がかかってしまう」。「自動車対自転車の事故を減らす、それには狭い歩道にそのまま自転車を押込む、当時の状況下ではこのやり方しかなかったのだ。いや今でも」


 しかし、長い年月の末、日本の歩道は整備され、昔と比べて格段によくなった。また、海外でも北欧などでは充実した自転車道路が建設され、自転車は快適に移動できる乗り物となっていると聞く。

 必要なのは理念のレベルから交通行政を考え、長期的な視野にたって物事を考える姿勢だろう。こうした理念があれば、長い年月のうちに歩行者と自転車をめぐる環境は徐々に改善されていくだろう。「自転車を車両とみなす」のか「自転車を歩行者とみなす」のか、要は「結論はじめにありき」ではなくきちんと議論をするべきである。性急で場当たり的な法制化は、日本の交通事情をますます悪化させる原因になると僕は思う。


自転車歩道走行/法制化の「問題点」/マナーの無法地帯に


 今回の「自転車を歩道へ」という法制化の方向は、「自転車を歩行者とみなす」という方策である。また、方策の妥当性を考えるうえでもっとも大切なことは「弱者優先」である。今回の自転車歩道法制化は、本当に「弱者優先」の理念にもとづいているのだろうか。

 もし自転車に歩道走行を義務づけたときのことを考えてみよう。歩道の整備はただでさえ遅れている。幅1メートルに満たない「自転車通行可」の歩道など、掃いて捨てるほどある。電信柱や街灯が邪魔をして、人と人、自転車と自転車がすれ違うことのできない箇所は無数にある。そんな場所では、お互いに譲り合いをして、時に自転車は車道に出て歩行者をよけるのが現在のやり方である。

 もし「車道に出ることまかりならん」と法律で決まればどうなるか。自転車が車道に出れば、自転車はジャマ者である。何しろ道路交通法違反である。車から容赦なくクラクションを鳴らされても、文句は言えなくなるだろう。自転車運転者は、狭い窮屈な未整備の歩道を進むか、今よりもさらにびくびくしながら車道に出ることになる。

 歩行者の立場で考えてみよう。狭い窮屈な場所に押し込められた自転車と歩行者の軋轢は今よりも大きくなる。歩道では自転車が強者である。マナー意識の欠如した自転車の運転者は「弱者優先」の配慮も欠如する。かくして歩道はさらなる自転車の無法地帯と化すのである。


路上の「排除の論理」は「弱者優先」の大原則をゆがめてしまう


 以上のような点から、こうした法制化は、歩行者と自転車双方にとってマイナスをもたらすと考えられる。では、こうした今回の法制化の動きで得をするのは誰か。

 言うまでもない。自動車の運転者である。自転車が車道からいなくなれば、車道は自動車にとって走りやすい道になるからである。僕がこうした法制化に反対するのは「弱者優先」の思想とはほど遠い、効率優先の考えに基づく「排除の論理」が感じられるからだ。


 自動車の運転者にすれば「自転車の運転者はマナーがなってない」「そんな自転車には車道を走る資格はない」というかも知れない。確かにそうした自転車乗りもいることは確かだ。そうした者に対する教育が必要なのは言うまでもない。

 しかし、交通法規を遵守し、ヘルメットを着用して走行している自転車乗りは、現在その多くが車道を走行しているのである。こうした人たちは、自転車は快適でエコロジカルな移動手段であることを知り、自転車を有効に利用し、広く自転車文化を形作っている。

 現在でも歩道は自転車走行にたいへんなストレスを強いている。歩行者との混在はもちろん、多い段差、見通しの悪い交差点、途切れる歩道・・・・歩道はあくまで「歩行者」のものであり、自転車に十分な便宜をはかったうえでつくられているとは言えないからだ。

 今回の法制化が実現すれば、自転車は快適な乗り物と言えなくなる。もっともダメージを受けるのは、自転車を文化的な乗り物であると考えている人たちであろう。疋田智氏からの異議申し立ては、こうした意識の高い自転車乗りからの危機感の表明である。


 高い意識を持った自転車乗りが路上からいなくなり、自転車が歩道に追いやられると、路上のモラルハザードはますますひどくなる。

 また、「排除の論理」は、車道でもモラルハザードも引き起こす。効率を考えるなら、遅い四輪、原付、初心者、老人運転者なども、円滑な交通を妨げるわけで、車道では邪魔になる。今回の法改正が、そうした者を車道から排除する思想につながることこそ僕は危惧する。

 モラルの低下は、さらなる死亡事故の引き金になる。交通死亡事故を防ぐための方策が、交通死亡事故を助長する要素を生み出す。そうしたブラック・ジョークのような未来も予想される。よって、僕は、こうした自転車歩道走行義務化に反対である。


おわりに


 僕は自動車を使う。そして自転車も利用する。

 自転車使用時、車道を走るか走らないかは、状況を考慮しながら判断する場合が多い。自動車と接触する危険性の高い場所では、無理せず歩道を走行する。反対に路肩の広い道路などでは、車道を走行する場合が多い。その場合、歩行者の通行の邪魔にならないときには、歩道は緊急避難の場所として活用できる。その点、今の「歩道通行可」は大変ありがたい。

 もし、歩道走行しか認められなくなったら、自転車の走行環境の整備が遅れている我が国の場合、自転車は大変なマイナスを被るだろう。

 車道走行するときは、交通法規にしたがった通行を心がけている。信号も遵守するし、手信号も出す。安全で円滑な走行が基本である。

 車道では、自動車の運転時と同様、僕は敏感に周囲に気を配っている。何しろひっかけられるとケガをするのは、自転車の方なのだから。

 車道では、自転車は「車両」としてふるまう。スポーツ自転車に乗る層は、おそらくそうしたことに気を配っていると思う。こうした自転車が増えることは、ひいては自転車乗り全体のモラル向上につながるのである。

 

 また、環境負荷という面からみても、自転車の普及にはメリットがある。自転車が有効な自動車の代替機関であるとすれば、自転車の普及は二酸化炭素排出量の削減につながる。ただし、移動手段として快適なものでないと、自転車の普及はすすまない。


 スポーツ自転車の比率が増え、交通マナーを大切にする自転車運転者の数が増えた社会と、歩道走行を義務づけたあげく、歩道も車道も危険にさらされ、モラルハザードが進行した状態では、どちらがいいか。選択すべき未来はどちらか。僕は歩道より車道を選ぶ。


 参考/自転車通勤掲示

    http://otd2.jbbs.livedoor.jp/30380/bbs_tree

    自転車社会学掲示

    http://otd13.jbbs.livedoor.jp/341113/bbs_plain