小出裕章氏講演「原子力の専門家が原子力に反対するわけ」2011.3.20(日)於アクティブやない 第3回


 そんな汚染を受けると、人間はいったいどうなるのかということですが、生き物とは不思議だと、私はつくづく思います。今日この会場、何人いらっしゃるだろうか。300人か400人、いると思います。でも一人ひとりみんな違う人間ですよね。顔付きも違う性別も違う体つきも違う、考え方も違う。もっと広く言えば、世界に70億人近い人間がいますけど、全部違う人間ですよね。人間といっても、みんな違う。

 なぜかと言えば、一人ひとりが受け継いでいる遺伝子というものがみんな違うから。だからだれひとりとして同じ人間はいない。そうですね。その遺伝子というのはどんなふうに書き込まれているかというと、こんなふうにと言ってるんですね。ここにあの細胞が真ん中にある、これが細胞なんですけれども、みなさん自分の手を見てもらってもいい。その皮膚の組織があって、細胞が集まっているわけですね。爪だっていろんな細胞でできている。何でも細胞でできている。


 その細胞は、一番元を辿っていくと、父親から来た精子と、母親から来た卵子が、合体して、ひとつの細胞ができた。万能細胞と呼ばれるような細胞ですけれども、その細胞が、細胞分裂ということをしてふたつになった。また分裂して4つになる。8つになる。16になる。いうふうに、どんどんどんどん細胞分裂して同じ細胞を複製していくんですけれども、不思議なことに、あるときから、手の皮膚になる細胞は皮膚になる、目になる奴は目になる。頭を作る奴は頭になる。その細胞が特別の細胞として分化していくわけです。DNAを取って遺伝子を調べると、全部同じなんですよ。


 私の身体にある細胞はすべて、私の遺伝子です。全部同じ遺伝子でできています。みなさんの身体だってそうだけれども、でも機能は全然違いますよね。血液になったりする細胞があるわけだし、そうやって、神秘的な形で、人間というものができているわけです。そして、その細胞の中には、核という部分があって、この中に染色体という、まあこんなハサミみたいな物が入っているわけです。二本でくっついていますが、これが23個この中に含まれている。


 これはまた、顕微鏡で見ればこういうふうなんですけれども、それをですね、電子顕微鏡ですね、細かくしていくとどうなっていくかというと、要するにDNAという分子がずーっとつながっていて、ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃっと小さくかたまりながら出来ていくという。このDNAというものの中に、ま2本の鎖がねじれてつながっているというものなんですけれど、それをつなげている橋があるんですね。この橋が、どんなふうに並んでいるかということが、遺伝情報なんです。私なら私という人間作るのは、この橋がどんなふうに並んでいるかということ。皆さんもそうです。これをずーっとほどいていくとですね、ものすごい長いですが、このDNAが、細胞分裂をした場合には、この2本のDNAの分子が、分かれていって、相手方のものを複製するということをやりながら細胞分裂をするんです。たとえばこんなふうにね。


 今のこのDNAの鎖があるとすると、あるところから切れて、ふたつに分かれているんですけれど、相手方のものをまたこの先に複製して作っていくということをやるんです。ずーっと分かれながら、新しい細胞を作っていく。これが細胞分裂で、私たちが新しい命を作るという仕組みです。私もそうだしみなさんもそうだけど、いわゆる成人と言われている人間は、約60兆個の細胞でできている。もう数えるのが大変なくらいですけれども、それはすべてDNAというものが、自分を複製しながら細胞を複製をして、新たな組織を作っていくということでできている。


 そのDNAというのは、幅が2ナノメートル、ナノというのは皆さんよく報道で聞くかもしれませんが、ものすごいちいちゃな単位です。10億分の1という単位ですけれども1メートルの10億分の1という単位ですから、10億分の2という単位です。本当にもう目でみることなんかできないほどのちいちゃな幅のものなんです。ただ、長さは合計で1.8メートルになる。私のひとつの組織の中の、ひとつの細胞ですよ、ひとつの細胞のなかにあるDNAというものは、長さがずっ−とその糸をほどいていって、ひっぱると1.8メートルにもなる。それくらい情報量をたくさん含んだ物質なわけです。


 どんなふうにイメージしていただくかというと、たとえば、太さ0.2ミリの糸をここにイメージしてください。髪の毛一本の太さくらいでしょうかね、髪の毛はもう少しほそいかなあ。でもどっちにしても、ものすごい細い糸を考え、それがDNAだと思ってください。そうすると、本当のDNAの幅は2ナノメートルの幅しかないんですけれど、それが0.2ミリだったとすると、長さがどれくらいの長さになると思いますか。答えを言うと、こうです。ここが今私たちがいる。髪の毛のふとさくらいしかないDNAというものを、私たちの細胞のひとつですよ、中に入っているDNAを、ずーっとほどいてほどいてずーっとほどいていくと、どのくらいの長さになるかというと、180キロです。この2本からなっているDNAというものが、こんなに長い糸ですよ、細い糸、それがほどけながら、細胞分裂をして次の細胞を作る。180キロと言ったら、熊本も高松も岡山も松江も入ってしまうという。とてつもない長さですけれども、これが、私たちの命を支えている。このやり方というのが、破壊されたら、私たちは生きられないという、そういう生き物なのです。


 これは、今日はちゃんと聞いていただく時間がありません。1999年の9月の30日に、茨城県東海村に、JCOという核燃料を作る加工する工場があって、そこで臨界事故という事故が起きたことがあります。みなさんもまだ覚えてられるかもしれませんが、その臨界事故という事故で、被曝した労働者が3人いました。本当はたくさん被曝しているのですけれど、大量に被曝した労働者は3人でした。そのうちの一人に、大内さんという労働者がいたんですが、これは大内さんの右手の写真です。


 被曝をして、大内さんはその場で昏倒しました。すぐに救急車が飛んできて、大内さんを現場から連れ出して、救急車に運びました。どこに運んだかというと、茨城県内でもっとも大きな病院である国立水戸病院という病院にかつぎ込みました。しかし、国立水戸病院は、大内さんの診察を拒否しました。被曝者の診察はお断りというわけですね。それで大内さんは仕方がなくて、ヘリコプターに乗せられて、千葉市にある放射線医学総合研究所という、放射線医療の専門病院にかつぎ込まれました。


 ところが、放射線治療の研究所である放射線医学総合研究所が、大内さんの治療を拒否した。そして、大内さんはどこへ行ったかというと、日本の医学界が総出で大内さんを助けようと、東大病院にかつぎこまれました。東大病院にかつぎ込まれたときの大内さんのこれが右手の写真です。ああ、たいしたことのないようにみえませんか。まあちょっと赤く腫れぼったいけれども、海で泳いで日焼けをした、その程度の手だった。でも、何となく日焼けをしているというのはどういうことかというと、放射線で被曝したからです。放射線で焼かれたからです。私たちが海で泳いで日焼けしても死にませんよ。祝島の漁師の人たちはたくさん日焼けをするだろうけれども、死なないですよね。いっときにたくさん日焼けしたら、ぼろぼろ皮がむけるかも知れないけれども、その下から新しい皮膚が再生してきて、私たちはちゃんと生活できる。それが人間という生き物なんです。


 しかしこの大内さんの手は、放射線で被曝をしている。やけどをしている。そうするとどうなるんでしょう。皆さんたとえば、病院でX線撮影というのを受けますね。そのときどうやって受けるかというと、撮影機の前に立って、息を吸って、止めて、ハイバシャっていって撮るわけですね。そのときに、胸の前にあるのは、写真乾板です。写真のフィルムです。背中の方からX線を照射します。私の背中の皮膚を貫いて、肉を貫いて、骨のところで一部止まって、そしてまた胸の前の皮膚をつらぬいて、写真のフィルムに、私の体がどうなっているかを印画する。つまり、放射線自身は、私の体を裏から表まで、突き抜けてずーっと被曝をさせていく、そういうことになる。大内さんのこの手も、もちろんこっち側は被曝をしているわけですし、肉だって、骨だって、そしてその裏側の皮膚だって、みんな被曝をしているわけです。


 そして、この表面の皮膚が、被曝によってダメになった。まあぼろぼろとむけたとするとどうなるかというと、この表面の下の皮膚だって放射線で被曝している。それも要するに生きる力を失っている。結局どうなったかというと、大内さんの手はこうなりました。


 皮膚がこうなっているということは、体の内部が全部こうなっているという、胃だって焼けただれているし、腸だって焼けただれている。どんどんどんどん下血をして、血が失われていく。皮膚がこんなですから、包帯でぐるぐる巻きにされているわけですけれども、その包帯が毎日ぐじゅぐじゅになってしまう。毎日10リッターを越える輸血と輸液を繰り返しながら、日本の医学界が総出で彼の治療にあたりました。しかし、こんな姿で苦しみながら、結局大内さんは、83日間生き延びましたけど、やっぱり死んでしまった。途中からはもちろん、意識もありません。

 
 これは、一番下にちょっと小ちゃく書きましたが、NHK取材班が、「被曝治療83日間の記録」という本を岩波書店から出しました。その本から、私はこうやって作ってきたわけですけれども、83日間の、本当に言葉では尽くせないほどの、悲惨な、治療経過が書いてあります。でも、83日間大内さんが生きたということは、日本の医学界が総出で彼をそれだけ生きさせたということです。もし、日本の医学界が総出で彼を治療しなければ、おそらく2週間で大内さんは死んだと思います。どちらがよかったかはわかりません。でもいずれにしても、死んでしまった。チェルノブイリも、先ほど見ていただいた作業員、死んでしまった作業員も、ほとんど2週間でみんな命を失うことになりました。これほど被曝というのは、すごい被害を与えるわけです。