樋口毅宏「テロルのすべて」


テロルのすべて

テロルのすべて


 1986年に生を受けた「僕」が、アメリカに原爆を落とすまで。


 非常にストレートで観念的。あまりに観念的なので、きっと何かの冗談なのだろう。プライドの高い秀才を戯画化して描いているのだろう。オイラはそう思った。観念に基づいてテロを実行に移すというのは、浅沼稲次郎刺殺の17歳少年のように、頭でっかちの若い人ならあるかも知れない。


 「僕」の心情として、国家論、日本人論がよく語られるが、熟考された国家論・日本人論という感じではなく、引用されたもの、商品化されたものばかりである。ボストンの「優秀な生徒しかいない」大学に留学した割には、底が浅い。もちろん作者は本気でこうした国家論・日本人論に入れ込んでいるのではなく、単純な思想に影響されやすい浅はかな若者を批評的に描いているのである。

 
 「僕」が中国人の恋人と口論する場面がある。喧嘩の内容が、これまた観念的で幼い。「嘘つきは中国人の専売特許だろ?」とか「おまえらみたいに日本のパクリばかりしている国が、日本人のような誇り高い民族に対して意見をするな!」とか、民族的なことをお互いに言い合い、険悪な雰囲気になる。


 国民国家と民族の区別もつかない未成熟な若者が、右翼的なメッセージに共感し、国家の論理に取り込まれていく。そりゃ自分の民族の悪口を言われれば,かっとなるかも知れないが、民族=個人ではない。国家がけなされたからと言って、自己が傷つき、喧嘩になる、というのは、現実的ではない。これが戯画化でなくてなんだろう。


 暴力描写も数多く見られるが、これも単純化された、マンガのようだ。「彼女の顔面を拳骨で殴り飛ばした。ジェニファーは後方へ吹っ飛んだ」。青白いインテリが、こんなシャープな暴力場面をこなせるわけもないのである。
 ラスト、原爆を爆発させた「僕」は思う。「寮に戻れたら、「ワンピース」を一巻から読んでみよう」と。「僕」にとって、マンガと原爆は等価である。


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 本の最後に、この映画に対する献辞がある。