平成23年8月22日 京大原子炉実験所 小出裕章 『たね蒔きジャーナル』


 「内田樹の研究室」2011年8月25日のなかに、こんな記述があった。

 声はその人の「正味のところ」がかなりむき出しになる。
 話している内容のコンテンツがうまく理解できなくても、その人が「自分に向かって語りかけている」かどうかは理解できる。
 それはその人が発する声の中に「自分の声域と周波数が合う音」が含まれているからである。
 価値観が合うとか、趣味が似ているとか、イデオロギーや信教になじみがいいとか、そういう顕在的なレベルの出来事ではない。
 もっと身体的で、もっと深いレベルの出来事である。
 「声の深い人」というのがいる(子守(康範:引用者注)さんはそういう人のひとりである)。
 声の深い人は、「多声的」(polyphonique)である。
 一人の人間なのに、その声の中に「複数の声」が輻輳している。


 それで思い出したのが、小出裕章氏である。彼の声は、とても魅力的だ。深い声だとオイラは思う。誠実な人柄が伝わってくる。今のところ、小出裕章氏の意見をきちんと伝えてくれるメディアはラジオである。毎日放送ラジオ「たね蒔きジャーナル」が、小出氏のときどきの見解を流してくれる。YOU TUBEも含めて、とてもありがたい。小出氏はラジオとの親和性がいい。それは「声」に由来するとオイラは思っている。



http://www.youtube.com/watch?v=w5e_83AT-Tw


[内容要約]


 508ミリシーベルトの積算被曝量は、普通の人間に許されている年間被曝量の約500倍。20ミリシーベルトの積算被曝量であれば、風下20キロ〜50キロの範囲で、飯館村のあたりまで含まれるだろう。国は、一般人であれば、1ミリシーベルト以上の被曝を許さないという法律を作ってやってきた。20ミリシーベルトなどという積算被曝量を許すということ自体が法律違反なのである。


 汚染が深刻化していることは、政府はもちろんとっくに分かっていた。「帰れるかも」と、住民の方々に淡い期待を持たせておいて、国は今頃になって「3キロ以内は戻れない」「10年は戻れない」と言っている。だが、事態はもっと深刻である。何十年、何百年経過しても、もっと広い範囲の人が帰れないだろう。被災者の方は、期待をもたせて仮設住宅におしこめておくのではなく、もっと別の形で復興できるようにしなければならなかった。もし、そんな地域に、除染が終わったと言って万が一住民を帰すのであれば、国会議員が率先してそこに住んでほしいと思う。

 
 政府のいう除染はできない。小学校の校庭の土をはぎとることはできても、森林や田畑の土をはぎとることはできない。日本が法治国家だというのであれば、国が借り上げようとしている土地の面積では、とても足りない。チェルノブイリは、25年経過しても帰れない。チェルノブイリでは、55万Bq/?の汚染地域は全員避難させた。今の飯館村のあたりまでがそれに該当する。


福島第1原発周辺の土地借り上げ 政府検討  2011.8.22 20:42


 政府は東京電力福島第1原子力発電所事故で、立ち入りを禁止する警戒区域が一部地域で長期化する見通しとなったことを受け、原発周辺地域の土地を借り上げる方向で検討に入った。


 長期にわたって帰宅が困難になる住民への生活支援策の柱として、土地を買い上げる方法もあるが、「先祖から受け継いだ土地を大事にしたいという住民の思いもある」(政府関係者)ことから、借り上げ案が有力となっている。


 枝野幸男官房長官は22日の記者会見で「除染対策を講じても長期にわたって帰宅が困難になる可能性は否定できない。その点は大変申し訳ない」と陳謝した。


 政府は今後、除染や生活支援などについて地元自治体と本格的に協議を開始する。枝野氏は対象地域や期間について「モニタリングや除染の技術的な調査と検討をしながら地元と相談していく。具体的に言う段階ではない」とした。


 菅直人首相は27日にも福島県に入り、警戒区域設定の長期化や政府として支援策を講じる考えを説明し、地元の理解を求める考えだ。首相は22日、記者団が官邸で、現地入りの意向を尋ねたのに対し「そうなるかもしれない」と答えた。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110822/plc11082220430018-n1.htm

 警戒区域:年積算最高508ミリシーベルト文科省推計

 文部科学省は19日、東京電力福島第1原発事故で警戒区域(半径20キロ圏内)に指定された9市町村のうち8市町村の50地点について、事故発生から1年間の積算放射線量の推計値(1日8時間屋外にいた場合)を初めて公表した。最高は原発の西南西3キロの大熊町小入野の508.1ミリシーベルトで、一般人の人工被ばくの年間許容線量の500年分に相当する。35地点が20ミリシーベルトを超え、原発周辺地域の除染作業の困難さが浮き彫りになった。


 推計は各地点での実測値を基に、大震災翌日の3月12日〜8月11日の積算線量について、1日のうち16時間は屋内に滞在すると仮定して計算。今月12日以降については、同9〜11日の推計値の平均値(最新推計値)が継続するとして計算した。


 その結果、大熊町では全12地点で20ミリシーベルトを超え、うち7地点は100ミリシーベルト以上だった。最新推計値も大熊町小入野の毎時75マイクロシーベルトが最高だったが、避難住民の一時帰宅の目安とされる毎時200マイクロシーベルトは下回った。


 このほか浪江町川房(原発の北西20キロ)223.7ミリシーベルト双葉町長塚(同北北西5キロ)172.4ミリシーベルト富岡町小良ケ浜(同南南西6キロ)115.3ミリシーベルト−−なども高さが目立つ。一方、浪江町北幾世橋(同北8キロ)は4.1ミリシーベルトとなるなど、同じ市町村でも地点によって線量が大きく異なっている。


木村健二、種市房子、久野華代】


 ◇警戒区域内50地点の来年3月11日までの年間積算線量推計値
※カッコ内は福島第1原発からの距離。単位はミリシーベルト
田村市都路町古道(西南西18キロ)  7.7
田村市都路町古道(西17キロ)    6.6
大熊町小入野(西南西3キロ)   508.
大熊町夫沢(西2.5キロ)    393.7
大熊町熊川(南南西3.5キロ)  233.0
大熊町下野上(西南西5キロ)   198.1
大熊町夫沢(西2.5キロ)    169.2
大熊町夫沢(西北西2.5キロ)  143.4
大熊町熊川(南4キロ)      126.7
大熊町野上(西南西7キロ)     99.5
大熊町小入野(西南西3.5キロ)  80.9
大熊町野上(西11キロ)      24.2
大熊町大川原(西南西8キロ)    23.5
大熊町野上(西14キロ)      21.6
浪江町川房(北西20キロ)    223.7
浪江町井手(西北西9キロ)    148.5
浪江町小丸(西北西12キロ)   145.4
浪江町昼曽根(北西20キロ)   145.1
浪江町室原(北西16キロ)    127.8
浪江町末森(北西11キロ)     61.8
浪江町酒井(北北西7キロ)     57.9
浪江町立野(北西14キロ)     38.3
浪江町立野(北北西11キロ)    38.0
浪江町北幾世橋(北8キロ)      4.1
双葉町長塚(北北西5キロ)    172.4
双葉町石熊(西7キロ)      126.6
双葉町長塚(北北西4キロ)     67.4
双葉町山田(西7キロ)       66.
双葉町前田(西北西3.5キロ)   52.5
双葉町寺沢(北西7キロ)      45.0
双葉町新山(北西3.5キロ)    28.8
富岡町小良ケ浜(南南西6キロ)  115.3
富岡町本岡(南南西7キロ)     77.0
富岡町上手岡(南西8キロ)     39.5
富岡町上手岡(南西13キロ)    33.2
富岡町小浜(南10キロ)      29.6
富岡町上郡山(南南西13キロ)   21.7
富岡町上手岡(西南西10キロ)   13.7
楢葉町上繁岡(南南西14キロ)   15.4
楢葉町井出(南西15キロ)     13.1
楢葉町井出(南16キロ)       5.1
川内村下川内(西南西19キロ)   11.4
川内村下川内(西南西16キロ)    7.8
南相馬市小高区金谷(北西18キロ) 53.1
南相馬市小高区神山(北北西13キロ)12.4
南相馬市小高区大富(北北西19キロ)11.8
南相馬市小高区片草(北北西18キロ) 6.5
南相馬市小高区泉沢(北北西14キロ) 4.1
南相馬市小高区行津(北北西11キロ) 3.7
南相馬市小高区大井(北16キロ)   3.6

http://mainichi.jp/life/health/news/20110820k0000m040123000c.html