返し稽古をする


 文化祭にむけて、高校生の返し稽古に、つきあう。
 今やっている芝居には、やたら「暑い」「暑い」という場面がある。登場人物は、事情で田舎に預けられている中学生と高校生の姉妹。「暑い」という言葉を、「暑い」という感情だけで役者が発していたので、少しだけ口をはさんだ。


 「セリフには背景がある。登場人物の家族は、姉が死んだり、母が入院したりして壊れつつある。不安やいらだちや喪失感を抱えているのでは? だとしたらもっと投げやりかも知れない。いらだちをぶつけるような「暑い」かも知れない。台本に書かれていない背景を、どれだけ想像し、実感し、表現することができるかが勝負。ただ「暑い」という感情だけで「暑い」と発していたとしたら、それは感情を説明するつまらないセリフに過ぎない」


 役者はピンときたようだ。だが「壊れつつある家族」を想像することは、人生経験の少ない高校生には難しい。やり直した後のセリフは凡庸だったが、アタマを使って想像し実感し表現しようとする役者の「あがき」が伝わってくる。彼女らは芝居を始めて4ケ月。目の色を変えて真剣に取り組む姿は、すっかり役者のそれだ。


 オイラの仕事は、それらしくセリフを言わせることではない。学びを起動させ考えさせること。役者が必死で考えた言い回しや振る舞いが、オイラの想像力を越えて示されるときに、オイラは逆に触発される。そうしたプロセスを大切にして芝居を作りたいと、つくづく思う。