第59回全国高等学校演劇大会(長崎大会)その2


 (つづき)
 会場となった長崎市公会堂は、かなり古い建物で、演劇には不利な劇場である。声が観客席に届きにくい。とくに袖を向いた役者の声は袖に吸い込まれてしまう。他の会場では問題ない発声の癖や「観客に届ける」という意識の緩みが、この会場ではテキメンに芝居を左右した。セリフが届かないということは、役者の「いま−ここ」の存在感もまた届きにくいということである。ほとんどの上演校が、会場の難しさに四苦八苦していた。


 たとえば、原爆をテーマにした市立沼田高「うしろのしょうめんだあれ」は、抽象性の高いセット、大黒幕は閉め、衣装は制服、小道具はほとんど使わない、極めて抽象性の高い芝居だった。舞台の上にアクティングエリアを作り、それを取り囲んだ亡霊のように舞台上を見つめるコロスが、入れかわり立ちかわり、いろいろな役を演じるという、観客の想像力に依拠した、演劇的純度の高いしかけが施されていた。本来なら抽象的な「形式」に、役者の「身体」が拮抗し、スリリングで見ごたえのある芝居が立ちあがるはずだった。だが、役者の存在感は十分に際立たず、芝居の「しかけ」のみが立ち上がるばかりで、舞台上の「いま−ここ」を生きる演技者の魅力は、観客席まで十分伝わってきたとは言い難かった。他の劇場なら、印象は違ったかも知れない。もしオイラが同じような状況に直面したなら、せめて大黒幕を開けて上演する、そんなことを思ったのだった。


 今年の全国大会の会場は1700席あまり。毎年、この劇場と同程度のサイズのホールが割り当てられるが、そもそも演劇には大きすぎる。とくに今回は(全国大会としては)こじんまりとした芝居が多かったこともあって、劇場の構造に芝居の出来が影響されるケースが多いように感じた。「観客席へ届けること」の重要性と難しさを、オイラは痛感したのだった。沼田高「うしろのしょうめんだあれ」以外にも、(脚本の構造も含めて)抽象的な構造を持つ芝居は、今回軒並み苦戦を強いられていた。さらに、転換が多かったり、脚本が作り手の「言いたいこと」を観客に説明することを主目的になっているなど、いわゆる役者の存在感が立ちあがりにくい要素が重なっていた芝居は、その「苦戦」がさらに増幅されたように思う。


 抽象的な「構造」を支えているのも、実は役者なのだ。役者が発する「身体からのメッセージ」が「構造」を凌駕しなければ、抽象的・記号的・観念的枠組みに命を吹き込むことはできない。結局は伝えることに神経を研ぎ澄まし、伝えるための技術を磨かなければならない。そんな当たり前のことを思いながら、1998年の鳥取大会、当時の勤務校の高校生と一緒に、全国大会に出場したときのことを思い出した。それは「白の揺れる場所」という芝居で、リラックスした身体とノーマルな発声が絶対に必要な内容だった。そのときの会場も絶望的に大きく、全国事務局からはマイクの使用すら暗に示唆されたが、結局「いつも通り」上演した。そうせざるを得なかった。正直に言うと、当時のオイラには、その理不尽な状況に、なすすべがなかったのである。


 結局、全国大会の「白の揺れる場所」は、作品の持つポテンシャルを十分に発揮することができずに終わった。あれから十五年。今なら少しはリカバリーできるかも知れない。今回の大会に同行した勤務校の高校生(主に一年生)は、「声が届かない(内容が届かない)はどういうことか」を理解するため、観客席が空いていたのを幸い、芝居ごとに、いろいろな場所に分かれて観劇した。前の方の席になら、どんな芝居も届いてくる。だが、少し遠い席や二階席なら、印象が大きく違う。オイラは高校生に言った。「届かないという状況はわかった。では、届かせるためには、何をしたらいい?」
 その答えは、舞台で出していこう、そんな思いを新たにした長崎の全国大会だった。